私はガス室の「特殊任務」をしていた シュロモ・ヴェネツィア | kingstone page(旧)

私はガス室の「特殊任務」をしていた シュロモ・ヴェネツィア

 図書館で借りて来ました。

私はガス室の「特殊任務」をしていた/シュロモ ヴェネツィア

¥2,100
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 きつい本です。

 アウシュビッツでガス室と焼却棟での「特殊任務」をしていたユダヤ人シュロモ・ヴェネツィアへのインタビューです。

「仕事をきちんと進められないと、看守は叩き、そして看守があまり強く叩かないと、ドイツ人がその看守を殺して別の看守を当てました。」

「食べものが十分にないと連帯は不可能になります。自分が生き延びるために誰かから取らなければならないとなると、取る人が多い。その点、私たちは食べものが十分だったので、多少危険がともなっても、なんとか他人に回そうとする余裕がありました。」

 引用できないようなところもたくさんあります。

 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に関するWikipediaに

「第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュヴィッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。」

という記述もありますが、そうではなく生き延びた人の記録、ということになると思います。