6月に | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】


なったところで何の変わりもなく、相変わらず復活の兆しも見えないここですが。

えーっと、お待ちかね(?)の「さよなら、愛しき人」が届きました。さっそく読み始めておりますが、「ロング・グッドバイ」ほどではないにしてもそれなりの分量なので、じっくりゆっくり読んでいこうと思ってます。
つーか、やっぱりチャンドラーってのは名文家なのですよねぇ。味わい深さを堪能しているとなかなか先に読み進みません。(笑)


 三月も終わりに近い暖かい日だった。私は床屋を出ると、その二階にある〈フロリアンズ〉というレストランを兼ねた賭博場の張り出したネオンサインを見上げた。一人の男が同じようにそのネオンサインを見上げていた。彼はうっとりした表情を顔に貼りつけ、頭上の汚れた窓を熱心に見つめていた。自由の女神像をはじめて目にしたヨーロッパからの移民みたいに。大男だが身長は二メートルより高くはないし、肩幅はビールの配達トラックほど大きくはない。彼は私から三メートルくらい離れたところに立っていた。両腕はだらんと脇に垂れ、その大きな指の背後で葉巻が忘れられたまま煙を上げていた。
 ひょろりとした寡黙な黒人たちが通りを行き来し、横目でちらりちらりとその男を見やった。目を向けるだけの価値のある男だった。けばだったボルサリーノ帽をかぶり、粗い布地のグレーのジャケットを着ていた。ジャケットにはボタンのかわりに白いゴルフボールがついている。茶色のシャツに黄色のネクタイ、プリーツのついたグレイのフランネルのズボンにアリゲーターの靴、つま先は目映いばかりに真っ白だ。上着の胸ポケットからはネクタイと揃いの、鮮やかな黄色の飾りハンカチが咲きこぼれるように顔を出している。帽子のバンドには色のついた羽根が二本挟まれていたが、そんな装飾はまったく余分だった。セントラル・アヴェニューは決して穏やかな服装で知られた場所ではないが、それでも彼はエンジェル・ケーキに乗ったタランチュラみたいに人目を引いた。
 肌は青白く無精髭がのびていた。いついかなるときも髭剃りが必要に見えるタイプなのだろう。髪は黒い巻き毛で、眉毛は濃く、いかつい鼻の上で今にもひとつに繋がってしまいそうに見えた。体の大きなわりに耳は小ぶりで端正だった。目には涙が潤んだような輝きがあったが、それは灰色の瞳にはしばしば見受けられるものだ。彫像のように男はそこに立ちすくんでいた。ずいぶん経ってから、微笑みが顔に浮かんだ。
                         〈さよなら、愛しき人 第1章より〉


これは冒頭で登場するムショ帰りの大男、ムース(へら鹿)マロイの描写なんですが、ほぼ丸々1ページも費やしてあるにも関わらず、まったく冗長でもかったるくもなく、それでいて思わず引き込まれるような仔細な描写が為されているのですよ。1人称というのは視点人物の目を通して物語世界を描いていくのですが、まさにマーロウといっしょにその場で黒人酒場のネオンを見上げるマロイを眺めているような気にさせられます。

「ロング・グッドバイ」と同様にこの「さよなら、愛しき人」も村上春樹による完訳版という位置づけなので、文章のボリュームそのものが「さらば愛しき女よ」に比べると増しているのですが、今回はそれだけではなく言葉のニュアンスというか、清水訳の独特のパキパキした歯切れの良さから一転して、村上氏自身の小説でも見られるようなしっとりとしたやわらかさが感じられる翻訳になっています。
まぁ、好みの問題は置いておくとしても、「ロング・グッドバイ」と同様にハードボイルド業界からは今やノーベル賞候補にまでなった大作家へ表立って文句が言えない人たちから(笑)、かなり屈折した反応が寄せられること請け合いです。特に今回は邦題を変えてますしね。

ところで本編よりも先に読んだあとがきによりますと、どうやらチャンドラーの村上春樹訳はシリーズ化されるようで、次は「リトル・シスター(清水訳の邦題は”かわいい女”)」を訳出したいとはっきり書いてあります(ということはまず間違いなく実現するでしょう)。個人的には「ビッグ・スリープ(同”大いなる眠り”)」の冒頭の有名な書き出しが村上訳でどうなるのかに興味があるのですが、ま、それは先々の楽しみということで。

さあ、それでは続きを読むとします。しばらく楽しい日々が続くなぁ……。