- Djangology/Django Reinhardt
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まったくリアクションがないにもかかわらず、一人でジャズづいておりますが。
こちらは「Left Alone」の序盤で登場する(と言っても壁にLPジャケットが貼ってあるだけなんですが……)ジャンゴ・ラインハルトの代表的アルバムです。
実はこれ、スタジオ録音ではなくて、ジャンゴがヴァイオリニストのステファン・グラッペリと共にローマのナイトクラブに出演していたとき、現地のジャズファンの私的なセッションの席で行われた演奏を録音したものです。
なので、ハッキリ言って音質的には褒められたものではないのですが、その分だけライブの臨場感というか、村上春樹氏の表現を借りると「当時のヨーロッパの地べた近くの空気みたいなもの」が漂ってきます。まるで自分の周りが古い映画のような優しいモノクロームの世界になったような気さえするのですよ。
とは言っても、わたしのは例によってiTunesでダウンロードしたリマスター版なので、楽器の音色はかなりクリアに聴こえてきます。これがLP盤だったら、さぞかし雑音だらけなのだろうなと思いますね。
もっとも、音源に収められた音のどこまでが”楽音”でどこからが”雑音”なのか、その線引きは容易ではありませんが。
わたしがジャンゴというギタリストを知ったのは音楽関係からではなく、花村萬月の「ジャンゴ」という小説からです。雑誌連載時しか読んでないので、文庫版ではどうなってるのかよく知らないんですが。
作中、ヤクザに脅されて左手の小指を切り落とされてしまうギタリストの比喩としてその名前が登場するのですが(後述の紹介を参照)当時はそれほど強い印象を持っていたわけではないのです。登場人物のイメージ――と言うか、花村作品のイメージ――に引っ張られてジャズ・ギタリストだということも覚えていませんでした。
それがガラリと変わったのはジャズ好きの先輩の家でレコードを聴かされたときでして、「ああ、これがジャンゴ・ラインハルトか」と抱えていたイメージとのあまりの違い(笑)にビックリした覚えがあります。
ジャンゴのギターはもともとがジプシー音楽にルーツがあるという点で、どこかフラメンコ・ギターのような軽やかさやマイナーコードの独特の切なさを持っています。そして、それにグラッペリの甘ったるいヴァイオリンの音色が重なることで、やくざっぽさとチャーミングさが同居した演奏になっているのですよね。
いわゆるヒーリング音楽が持て囃される現代ですが、本当に心を落ち着かせるのはこういう古き良き時代の音楽なんじゃないかなと思うのですがいかがでしょう?
(もっとも、こういう音楽を聴いて懐かしさや気持ちよさを感じるか、あるいは古臭さや物足りなさを感じるかが、ひょっとしたら若さの境界線なのかもしれませんけどね)
このオールバックの人がジャンゴ・ラインハルト。(サムネイルをクリックするとThickboxで動画がスタートします)
最後になりましたがミュージシャンの紹介を。(ウィキペディアの記載から抜粋)
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ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt 1910年1月23日 - 1953年5月16日)はベルギー出身のジャズ・ギタリスト。本名ジャン・バティスト・レナール(Jean Baptiste Reinhardt)
ジプシーの伝統音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・スウィング(マヌーシュ・スウィング)の創始者として知られる。
ジプシーとして幼少の頃からヨーロッパ各地を漂流して過ごし、そこでギターやヴァイオリンの演奏を身につけて育った。
1924年、歌手の伴奏でバンジョーを弾く。これが初のレコーディング経験となった。その後ギタリストとして活動。
18歳のときにキャラバンの火事を消そうとして、左指2本の動きを失う大火傷を負ったが、そのハンディを奇跡的に乗り越えて独自の奏法を確立。
1934年にはフランス・ホット・クラブ五重奏団を結成。映画『ギター弾きの恋』の中でもその名前がでている。後世のミュージシャンに多大な影響を与える多くの傑作を、その短い生涯の中で幾つも発表した。
1949年、盟友であるステファン・グラッペリ(ヴァイオリン)と共にローマに渡り、現地のミュージシャンと共にクラブで演奏した模様を収めた『ジャンゴロジー』は傑作として名高い。
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ステファン・グラッペリ(Stéphane Grappelli 1908年1月26日 - 1997年12月1日)はフランス出身のジャズ・ヴァイオリニスト。
ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトの相方としても知られ、彼と共に「フランス・ホットクラブ五重奏団(the Quintette du Hot Club de France)」を結成し、第二次世界大戦前から晩年まで精力的な演奏活動を続けた。
ジャズ・ヴァイオリンの第一人者として長年に渡って晩年まで第一線で活躍した。
晩年にはジャズ以外の分野の演奏家とも競演し、特にクラシックの分野ではユーディ・メニューインやヨー・ヨー・マらとの競演が有名であり、いずれも高い評価を受けている。
メニューインとは英国BBCテレビでの競演をきっかけに数枚のアルバムを録音した。また、映画音楽も手がけ、1973年のフランス映画「バルスーズ(原題 "Les Valseuses")」や1989年のフランス映画「5月のミル(原題 "Milou En Mai")」の音楽を担当した。
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