「Portrait in Jazz」(和田誠/村上春樹 新潮文庫) | 『Go ahead,Make my day ! 』

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【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
ポートレイト・イン・ジャズ (新潮文庫)/和田 誠

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世の中には「買おうと思って手に取りながら、何となく買いそびれる一冊」というのがあると思うのですが。(あります……よね?)
わたしにとってはこの「ポートレイト・イン・ジャズ」がその一冊でした。
特段の理由はないのですが、というのはウソで、この手の本を読んで「ジャズについて分かったようなつもりになる」のが我ながら滑稽に思えてならなかったのですよね。
それをこの度買ってしまったのは別に宗旨替えをしたわけじゃなくて、単にドトールでヨメと待ち合わせをする間の暇つぶしに手持ちの本がなくてとりあえず目についただけ、というから前述の理由も大したことはないわけですが。
 
まあ、そんなことはともかく。
この本はジャズ・マニアのイラストレーター和田誠氏が個展で発表した20人のジャズメンのポートレイトに、同じくジャズ・マニアの村上春樹氏が目をつけて始まった企画なのだそうで。和田氏の独特のタッチの肖像画に村上氏が愛情溢れる語り口のエッセイをつけ、さらにそれぞれのジャズメンのお奨めの一枚を選ぶという構成になっています。
新刊本ではこれと「2」があるのですが、文庫化に際して一冊にまとめられているのでちょっとお得だったりもします(笑)
 
エッセイの(しかもかなり短い)中身について語ろうとするとほぼ全文を引用することになるので避けますが、目次にずらりと並ぶ錚々たる面々を眺めていると、ジャズという音楽の奥深さと共にこの音楽が今や古典であり、現代のジャズはどれだけ新しい切り口を持ち込もうとも”リメイク”でしかないことを思い知らされます。
もちろん、今のジャズメンもいい曲や素晴らしい演奏を発表しているのだとは思います。
しかし、現代のジャズを取り巻く環境は、ジャズが生まれ大きなうねりを作り出した時代とは大きく異なります。それはそもそもは蔑称であったはずの”JAZZ”がオシャレなカッコイイ音楽と捉えられていることからも明らかです。もはや、ジャズとは呼べないようなポップスやヒーリング音楽まがいのものもありますしね。(個人的にPE’Zがジャズ・バンドに分類されていることに違和感を拭えません……)
 
どんな音楽も小説、映画もそれが作られた時代性から自由になることはできません。
1940年代に作られた作品には、たとえそれが中世を描いていてもはるか22世紀の未来を描いていても40年代の空気が漂っています。同じことは50年代にも60年代にも言えます。もちろん、現代の作品にも言えるわけです。
ちょっと突飛な比較に思えるかもしれませんが、毎年、飽きもせず(失礼!)制作される時代劇の定番「忠臣蔵」を思い起こしていただくと、わたしが言っていることを理解していただけるかもしれません。
基本的な設定もストーリーも毎年同じなのに(違ったら逆に困りますが……)キャストが違うだけでここまでリメイクを繰り返されて、それが単なる焼き直しではなく古臭さも感じさせないのは、ちゃんと毎年新しい「現代の視聴者に受ける作品作り」がされている証拠だと思います。
逆に70年代に作られた「忠臣蔵」の再放送を見てみると、そこには確かに面白さはありますが、それは「一昔前の時代劇」を見る面白さなのですよね。仮にそれとまったく同じ作りの「忠臣蔵」を今年放送されてもな、と思ってしまいます。

乱暴なことを言わせて貰うなら、ジャズというのは「成長が終わった大人」なのではないかと思うのです。幾つもの大きな変化を経て、ほぼ行き着くべきところに辿り付いた音楽。
それは時間の淘汰を受けることで純化していき、一つの揺ぎ無い存在と化しているのです。
これからもまったく変化がないわけではないでしょう。しかし、それはジャズという大きな枠を壊すようなものではないはずです。それはもはや古典なのですから。
これもまた乱暴な論ですが、芸術は常に歴史の積み重ねである「古典」と新しいムーヴメントである「前衛」のせめぎ合いという構図を持っています。音楽だけでなく演劇然り、文学もまた然り。
ジャズの前にはクラシックという古典がありました。ジャズメンたちはそれまでの音楽に対する反逆児であったわけです。
今でこそジャズは落ち着いた大人の音楽と捉えられていますが、かつてのジャズメンといえばクスリやアルコールに溺れる、乱痴気騒ぎを繰り返す、ケンカや暴力沙汰は日常茶飯事という連中でした。
これがある図式に一致することに、そろそろ気づかれるのではないでしょうか。
そう、これはジャズ以降の大きなムーヴメントであるロック・ミュージシャンも同じでしたし(かつて、ロックは不良の音楽というレッテルを貼られていました)今のヒップホップ系のミュージシャンも大なり小なり同じ傾向を抱えています。
結局のところ、歴史は繰り返すということなのでしょう。それは同時に、かつての反逆児たちを自分のことは棚に上げてしまう大人へと位置づけてしまっている――そんな気がします。
 
和田氏のイラスト(表紙のこの人はビックス・バイダーベック)と相変わらずの春樹節(エッセイバージョン)を充分に堪能させてもらいながらわたしの頭を離れなかったのは、同じく村上氏が翻訳した「ロング・グッドバイ」の巻末に収録されたエッセイの副題「準古典小説としての『ロング・グッドバイ』」でした。 
ジャズの良さを古典の良さと言ってしまえるほど詳しくもないわたしですが(この本でも知らないジャズメンのほうが圧倒的に多い)現代のジャズを取り上げているレビューやブログなどを読んでいて感じる「それは違うだろう」という違和感は、この本で一層強まったように思います。
 
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ちなみに「ポートレイト・イン・ジャズ」は本の内容そのまんまのタイトルですが、ビル・エヴァンス・トリオに同名のアルバムがありまして、ビル・エヴァンスの項で他の3枚とあわせて彼の名盤の一枚として紹介されています。
村上氏はビル・エヴァンスの良さはスコット・ラファロが在籍したときのトリオに結実するように書かれていますが、わたしは彼のソロ・プレイのほうが好きなんですよね。グラミー賞を獲ったアルバム「Alone+2」のオープニング、「Here's That Rainy Day」から「A Time For Love」への繋がりなどは、内省的で静かな――ある意味、静か過ぎるんですが――メロディにも関わらず、何かを訴えかけるような精緻な響きがあります。
もし、機会がありましたら聴いてみて下さい。
 
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ところで、わたしの創作物でのジャズの取り扱いはどうなのかというと、語り手が若年ということもあってあんまり細かい描写はありませんね~。真奈はロック・マニアですし。
それでも名前だけは何人か登場しております。

ビル・エヴァンス(砕ける月、テネシーワルツ)
セロニアス・モンク(優しい嘘)
ジョシュア・レッドマン(ブラジリアン・ハイ・キック ~天使の縦蹴り~)
ジャンゴ・ラインハルト、ビリーホリデイ、マル・ウォルドロン、ジョン・コルトレーン、マリーン(Left alone)


他にも出したような記憶はあるのですが……ちょっと思い出せませんなあ。(ダメじゃん)
マリーンをジャズ・シンガーに分類することには多少迷いもありますが、ジャズナンバーも多く歌っておられますので。同じ理由でジャンゴをジャズメンとするのもどうかと思うのですが「ポートレイト・イン・ジャズ」でそうなってますので。

どうでもいいですが、セロニアス・モンクとジョシュア・レッドマン以外はすべて真奈の語りで名前が出てきてます。「ブラジリアン~」ではジャズやボサ・ノヴァを聴くという亮太に向かって「ジジくさあ……」とほざいていますが、自分だって名前だけでなく曲名にも言及しているわけで、彼女もそれなりに(好き嫌いは別にして)ジャズの知識はあるのです。
もちろん、それはある人物の影響なのですがね。
 
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マグカップこちらは作中で何度か登場しているジョン・コルトレーンの肖像画がプリントされたマグカップ。
わたしが敬愛する原尞氏のお兄さんが経営するジャズ喫茶「コルトレーン・コルトレーン」で売ってるオリジナル商品です。長らく愛用している物なのでくすんだ感じに写ってるのがかなり申し訳ないですけどね(苦笑)
これと同じ肖像画が店の外壁にも描いてあって、それがお店の目印にもなっています。鹿児島本線の下りだと鳥栖駅を出てすぐの右側に見ることができます。
ちなみにマスター(お兄さん)は原氏とクリソツです(笑)
 
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