「サイボーグ009」(石ノ森章太郎/東映・日本サンライズ 1979年) | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

少年鑑別所を脱走した島村ジョーは突如現れた謎の男たち――世界の影で暗躍する死の商人・黒い幽霊(ブラック・ゴースト)団に捕らえられ、画期的な新商品・サイボーグ兵士の試作品として改造されてしまう。その名も009。
だが、ジョーは同じくゼロゼロ・ナンバーを付けられた8人のサイボーグと、自分たちを改造したギルモア博士とともにブラック・ゴースト団を脱走するのだった。
人の心を持ちながらヒトでも機械でもない存在となった哀しみを胸に、サイボーグ戦士たちの壮絶な戦いが幕を開ける――。

 
サイボーグ009「バトルアライブ1~誕生~」


たった今までNHK-BS2で石ノ森章太郎の特番をやってまして、つい見てしまいました。(小説書けよという心の声は全力でスルー。笑)

石ノ森作品は数あれど――個人的にこの呼び方はしっくりきませんが――わたしは「サイボーグ009」こそが最高傑作だと信じて疑いません。
残念ながら未完なのですが、石ノ森氏自身もこの作品には思い入れがあって、仮面ライダーなどではアシスタントに作画させたりしてたそうですが、009はほとんど本人が描いてたそうです。

石ノ森作品のヒーローの良さは、やはりその戦いの動機付けにあるのではないでしょうか。
様々な理由で社会からはじき出された末にブラック・ゴースト団に誘拐されてサイボーグにされてしまう本作の主人公たちもそうですが、仮面ライダーにしてもゴレンジャーにしても、はたまた人造人間キカイダー、あるいは怪傑ズバットなどにしても、石ノ森ヒーローには常に苦悩や疎外、大切なものの喪失などの悲劇性が付きまとっているのですよね。そして、最終的には”正義”のための戦いであっても、その第一歩は必ず彼らの個人的な事情から始まっているのです。

これは意外と重要なことで、ヒーロー物をただの子供だましにしないためにはしっかり描かれなくてはならない部分です。
が、しかし、昨今の特撮やアニメ、あるいはマンガでも笑ってしまうくらいないがしろにされている部分なのですよね。特にここ10年ほどの少年誌(ジャンプやマガジンなど)のいわゆる「バトルもの」の人物的背景は三流劇団の舞台セットなみの書き割り状態です。
今の子供たちは我々世代よりもずっと複雑なドラマにも慣れているので、もっと人物を掘り下げてもついていけるような気がするのですが、考えてみると、今の薄っぺらいテレビドラマに慣れた子供たちには、昔の直球勝負の人間ドラマは逆についていけないものなのかもしれません。
ちょっと飛躍しすぎかもしれませんが、こういう作品背景とライトノヴェルの隆盛も無関係ではないかもしれないなあ、などと思ったりもします。

まあ、そんなことはともかく。
懐かしくても今さら見ることも出来ないしなあ、などと思っておりましたところ、実は平成に入ってからテレビ東京系でリメイク版が作られていたのだそうで。
公式サイトを見る限りでは(いろいろと設定変更はされてるようですが)絵柄も石ノ森タッチを再現してますし、機会があれば見てみようかなとも思っております。主題歌が今は亡き(!)globeなのがどうにも解せませんがね。
とりあえず、
「サイボーグ009の主題歌は「誰がために」しかありえないから!!」
と声を大にして主張しておきます。石ノ森氏自ら作詞したアニメソングの傑作です。

【誰がために】
作詞:石ノ森章太郎 作曲:平尾昌晃 編曲:すぎやまこういち
歌:成田賢/こおろぎ'73

吹きすさぶ風がよく似合う
9人の戦鬼と人のいう

だが我々は愛のため
戦い忘れた人のため
涙で渡る血の大河
夢見て走る死の荒野
サイボーグ戦士 誰がために戦う
サイボーグ戦士 誰がために戦う

葬いの鐘がよく似合う
地獄の使者と人のいう

だが我々は愛のため
戦い忘れた人のため
闇追いはらう時の鐘
明日の夜明けをつげる鐘
サイボーグ戦士 誰がために戦う
サイボーグ戦士 誰がために戦う

だが我々は愛のため
戦い忘れた人のため
涙で渡る血の大河
夢見て走る死の荒野
サイボーグ戦士 誰がために戦う
サイボーグ戦士 誰がために戦う


例によってyoutubeで拾ってきましたのでご覧下さい。
 

で、こっちが真名さんが「かっこいい」とおっしゃってた平成版のオープニング。タイトルバックまでは確かにカッコいいですねえ。(でも、globeである必要はやっぱりないような……。MARCのラップも相変わらず何言ってるかわかんねえし)