「パートタイム・ラヴァー」第11回 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
「――ホント、助かったわ」
 目の前の女の人は、そう言ってニッコリと笑った。
 福岡中央署の一階にある小さな会議室。もらった名刺には<生活安全課 警部補・高坂朋子>と書いてある。うりざね顔のきれいな人で、女性はどうしても野暮ったく見える濃紺の制服をスマートに着こなしている。相手の心の内を見透かそうとする警察官らしい眼差しが、恭吾にちょっと似ているような気がした。
「作戦はうまくいったんですか?」
「おかげさまで。まだ逮捕するところまではいってないけど、証拠はバッチリ押さえてるから」
 悪戯っぽく笑う高坂警部補の目許には知的なシワが刻まれていた。でも、それは歳を感じさせるようなものじゃない。四十代前半と聞いていたけど、肌の感じは三十代半ばでも通りそうだ。
 勧められたのでコーヒーカップを手にした。何も訊かれないままに出されたものだ。真奈だったら喜ぶだろうけど、あたしはそんなに嬉しくない。
「サポートについてた子が言ってたわ。まるで本物のカップルにしか見えなかったって。正直、村上くんの演技力にはあんまり期待してなかったんだけど、相手があなたで良かったわ」
「そりゃどうも」
 当然だ。そう見えるように手を尽くしたんだから。
 
 事の経緯はこうだ。
 県内でいくつかの会社を経営する実業家の娘が深刻なストーカー被害に遭っていた。ストーカーは娘につきまとう一方で、その彼氏にもさまざまな嫌がらせをしていた。ストーカーの身元はおおよそ割れていたけれど、なかなか警察に告発できるような決定的な証拠を掴むことができないでいた。
 そんな中で彼氏のクルマに細工がされて、それが元で起きた事故で二人が、特に彼氏が重傷を負うという事件が起こった。
 父親は事故はストーカーによって仕組まれたものだ、と警察に怒鳴り込んだ。ところが、警察の捜査ではその明確な物証が出てこなかった。嫌気がさした彼氏は娘の元を去り、娘はPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような状態に陥ってしまった。
 ここまではよくある話だ。ストーカー規制法という立派な法律はあっても、明確な事実、あるいは具体的な被害が出ないと警察がなかなか腰を上げないのはどこも同じなんだろう。
 父親はそんな対応に業を煮やして、遠縁で現職の県議会議員を担ぎ出した。
 議員は警察のどこか上のほうに口を利いて、福岡中央署はようやく捜査に乗り出した。その責任者が目の前にいる県警ストーカー対策室の警部補というわけだ。どうでもいいけど、この議員というのは恭吾がパーティに出たあの候補者おじさんだった。実はあのパーティの裏側で関係者の顔合わせがあったらしい。どおりであたしはほったらかされたわけだ。
 ストーカーの身元はわかっているのだから、解決には時間はかからないと思われていた。
 ところが初動捜査の遅れ(というか被害届が出てもやってなかった)のせいで、ストーカーを検挙する証拠はなかなかつかめなかった。さらに娘から彼氏を遠ざけることに成功したストーカーがほとぼりが冷めるまでなりを潜めてしまい、いよいよ事態は膠着してしまう。
 普段は何だかんだと理由をつけて小さな犯罪には冷淡な警察も、力のある政治家とマスコミの追求には弱い。早急に結果を出すことを求められた捜査班は、窮余の策として娘と彼氏がよりを戻したような芝居を打つことで、再びストーカーをおびき出すというバクチのような手に打って出た。
 そして、その娘と彼氏役を演じたのがあたしと恭吾だったというわけだ。
 
「最初はね、村上くんがその彼氏にすっごく似てたことから思いついたのよ」
 高坂警部補はファイルに入っていた彼氏の写真を見せてくれた。
 写真ではそんなでもないような気がした(恭吾のほうが数段ハンサムだ)けど、実物は遠目にはわからないほど背格好といい、顔の感じといい、よく似ていたのだそうだ。恭吾のほうが彼氏より五、六歳年上なのに同じくらいの年齢に見える。恭吾が若く見えるのか、彼氏が老けているのか。おそらく両方だろう。
「そこで、村上くんを彼女のマンションに出入りさせたり、近くのコンビニで彼女のケイタイの料金を払わせてみたりしたの。そのストーカーがそこのコンビニの店主の息子だってのはわかってたんだけど」
「なるほど」
 他にもクルマにGPS受信機(無線と一体化していて現在地がストーカーに知れるようになっている)を仕掛けるチャンスをわざと与えたり、いろいろと手の込んだ仕込みがあったのだと高坂警部補は言った。
 あのデートも事前にストーカーに伝わっていたし、高砂の彼女のマンションの前でクルマの乗り降りをしたのも、ストーカーに二人の関係が健在なのだと印象付けるのが目的だった。
 メルセデスを使ったのは彼氏の父親がシルバーのCクラスに乗っていて、彼氏自身も何度か彼女のマンションまで乗ってきたことがあるからだった。比較的よく似ているCLKを、恭吾が知り合いから借りてきたらしかった。
「最初はね、彼女の役は彼女自身にやってもらうはずだったの。彼氏とストーカーは直接の面識がないからスタンド・インでもごまかせるけど、彼女はそうもいかないから。でもね、彼女にはちょっと厳しすぎたのよ」
「ストーカーに立ち向かうことが、ですか?」
「それもあるけど、大好きだった彼氏によく似た男と、お芝居とはいえデートするのがね」
 なんとなく理解できないこともないような気がする。
「それでこの計画は頓挫したと思ったわ。何人か、候補に選んだ子に同じようなメイクをさせてもぜんぜん似てないし。だから、村上くんがあなたを連れてきたときには本当にビックリしたの。男性陣以上にあなたと彼女はよく似てたから」
 それには一応、異論がある。あたしはあんなにタヌキ顔じゃないし肌も荒れていない。
 でも、輪郭や口許はそこそこ似ていたし、目許はスッピンではともかく、メイク後であればどうにでもごまかせる範囲だった。ある程度離れてしまえば、よほど身近な人じゃないと見分けがつかなかっただろう。ついでに言うと借りた服も、ちょっと胸が苦しかった以外はほぼピッタリだった。
「でも村上さん、よく彼氏の役をオーケーしましたね」
「最初は嫌がったわよ。管轄外だし、いくら仕事上のお芝居とは言っても若い女の子とデートするなんてね。でもまあ、恭吾くんにはいっぱい貸しがあるから」
「恭吾くん?」
「あら、ごめんなさい。彼、あたしの妹の元旦那さんなの」
「……なるほど」
 直属の上司ではなくても上位の警察官で、しかも別れた奥さんのお姉さん(要するに元義姉)が相手では、いくら恭吾でも断れなかっただろう。
「それでも、最後にホテルに入るのだけは断るって聞かなかったのよ。だから、あなたがキャナルで運河に落ちてお風呂に入らなきゃならなかったのは怪我の功名だったわね。あれでずっとお芝居の信憑性が高まったんだもの。あなたには気の毒だったけど」
 話は終わった。警部補は”捜査報償費”と書かれた茶封筒を差し出した。経費で計上されるらしくて、受け取りにサインを求められた。金額は一万円になっていた。一日、ただデートしただけにしてはいい稼ぎなのだろう。
 一瞬迷って、サインして封筒を受け取った。
「賭けはわたしの勝ちね」
 高坂警部補は早くも書類を片付け始めていた。報酬を支払ってしまえば、あたしに対する彼女の仕事は終わりなのだ。
「どういう意味ですか?」
「恭吾くんがね、あなたはアルバイト代を受け取らないだろうって言ってたの。遠慮っていうんじゃんなくて、古臭い言い方だけど義侠心っていうのかしら。人を助けるためにやったことでおカネ目当てでやったわけじゃない。だから受け取れない。――あなたはそういう子だって」
「……へえ」
「わたしは逆だと思った。あなたは自分が請け負ったことに対してはちゃんと責任をもってやるし、その報酬も堂々と受け取る子だって。だから、賭けをしたの。あなたがどうするかってね」
「どっちも正解のような気がしますけど、受け取ったわけだから賭けは高坂さんの勝ちですね。勝者は敗者から何を受け取れるんですか?」
「勝ったほうが「いろは」で水炊きを奢ってもらうことになってるの。あなたも来る?」
「いいです。ずっと睨まれてたら食欲なくなっちゃいそうだし」
 高坂警部補は柔らかい声で笑った。
 
「由真~、おっそ~い!!」
 真奈が子供のようにブンブンと手を振っている。
 普段はクールで皮肉屋を気取ってるくせに、真奈はときどきこうやってちょっと顔を伏せたくなるようなことをする。問題はそのほとんどが衆人の目の前だということだ。やるなとは言わないけど、もうちょっと場所を選んでくれないものかな。
 新天町商店街のからくり時計の下。土曜の午後で人通りは多い。軽やかなベルの音色がちょうど午後三時を知らせている。駆け寄ろうとして、真奈の隣に長身のスーツ姿の男の人が立ってるのに気づいた。
 恭吾だった。
 この前とはまるで違う佇まいだった。凛々しいブルー・サージのスーツ。糊の効いた清潔感のある白いシャツに上品な色合いのレジメンタルのネクタイ。耳が隠れるくらいの長さのちょっとクセ毛の茶髪。角のないメタルフレームのメガネ。
 そして、隣に立つ少女には言えない想いを覆い隠すために浮かべた無表情。
 一瞬だけ絡み合ったあたしと恭吾の視線は、お互いをつかまえようとしてすり抜けてしまった手と手のように離れた。
「お待たせ、ちょっと用事があったもんだから。――こんにちは」
 ペコリと頭を下げた。恭吾はいつもと同じ物静かな声で「こんにちは」と答えた。
「どうしたの、こんなとこで二人なんて」
「うん、偶然にそこで会ってさ。ところであんた、非番なの?」
「誰がそんなことを言った? 仕事中に決まってるだろ」
 恭吾は自分のスーツを指した。真奈は意にも介さなかった。
「だってあんた、休みの日でもスーツ着てそうなんだもん。だったら早く仕事に戻んなさいよ」
「おまえが俺を引きとめたんだ」
 いつものような気忙しいやり取り。
「ま、特に急がなきゃならんこともないんだがな」
「へえ。だったら何か奢ってよ」
「バカなことを言うな。何で俺がおまえに奢ってやらなきゃならないんだ」
「ふ~んだ、ケチ。そんなんじゃ女にモテないよ」
「結構なことだ」
 子供のケンカじゃあるまいし。
 思わず笑い出しそうになった。落ち着いてしっとりした雰囲気なんて、この二人の間には存在しないのだ。でも、それはそれで似合っているような気がした。
 言い募る二人の間に割って入った。
「あたしが奢るから、どこか入ろうよ。何でもいいよ」
「どうしたの、由真?」
「うん、ちょっと臨時収入があったの。でも、なんかパーッと使っちゃいたい気分なんだよね」
 さっき受け取った茶封筒を取り出して見せた。表書きは真奈には見えないようにして。それでも恭吾にはそれが何だか分かっているはずだ。
 目の端で窺った恭吾の様子には何の変化もなかった。
 元姉弟の見解はどちらも外れじゃないけど、どちらも正解とは言えなかった。
 あたしがこの報酬を受け取ったのは、恭吾とのデートはあくまでもアルバイトだったのだと――あの日、心が揺らいだのはただの気の迷いだったのだと自分に言い聞かせるためだった。

 真奈は辺りを見回しながら、さっそくどこの店にするかを考え始めていた。

「決まった?」

「うーん、ちょっと待って。あ、あそこでもいいなあ……」

 思わずため息が出た。恭吾が言っていたとおり、目移りを繰り返してなかなか決めることができないようだった。他のことではほとんど直感で決められるのに、どうして飲み食いだけはそうじゃないんだろう。

 食い意地が張ってるからだろうな。

 恭吾の携帯電話が”You've gat mail!”とメールの着信を告げた。恭吾はまったく飾りのない携帯を引っ張り出してメールを読んでいた。 
「すまん、用事ができた。これで失礼するよ」
 恭吾は言った。真奈は不満そうに鼻を鳴らした。
「なによ、せっかく由真が奢ってくれるっていうのにさ。滅多にないことなんだよ」
「ちょっと真奈、それって聞き捨てならないんだけど?」
 真奈の脇腹を指の先でつついた。

 恐竜じゃないかと思うくらい痛みに鈍感なのに、なぜか真奈はくすぐったがりだ。真奈は大げさに身をよじってあたしの指先から逃れようとした。
 街中できゃあきゃあと大騒ぎする女子高生コンビに、周りの視線が集まってくるのを感じた。まったく人のことなんて言えやしない。あたしも真奈も顔を赤らめて、お互いにすっとぼけてソッポを向いた。
 その場を離れるタイミングを探っていた恭吾と目が合った。

 ――じゃあね、恭吾。
 そっと囁いた。聞こえたはずはないけれど、何かを言われたことには気づいたようだった。

 真奈がこっちを見ていないのを見計らってから、戸惑う恭吾に向かってとっておきのウィンクをしてみせた。
 あたしの最後の悪ふざけにあの日一日だけの恋人は目を細めて、なんともいえない照れくさそうな微笑みで応えてくれた。もし、それが誰にも遠慮する必要がない人から向けられたものだったら、あたしはためらうことなくその胸に飛び込んでいっただろう。
 それはそんな微笑だった。
 

<了>