「ブラジリアン・ハイ・キック ~天使の縦蹴り~」 第14章 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
 廃材置場は思っていたよりはずっと狭くて、都会の学校の手狭な校庭くらいの広さだった。

 山肌側には鉄骨で支えられたスレートの大きな屋根があって、見るからに動かなそうなボロボロのトラックが停めてある。うずたかく積み上げられた材木がいくつかの山を作っている。それらが再利用を待っているのか、朽ちるまで放っておかれているのかは分からない。
 敷地の奥のほうに、真奈が言っていたスレート壁の倉庫のような建物がある。採光用の窓は屋根に近い高いところにあって、そこから中に灯りが点っているのが見て取れた。正面のシャッターも完全には閉まっていなくて、下の僅かな隙間から光が洩れている。シャッターの横にドアらしきものがある。その前にクルマが四台――古閑のグロリアと鈍い赤のRV(たぶんトヨタのランドクルーザーの旧型)、そして白いマークⅡとシルバーのアルテッツァ。
「クルマ、動かないようにしとこうか?」
 真奈が言った。
「どうして?」
「逃げるとき、追いかけられると面倒じゃない。こっちは徒歩なんだし」
 確かにそうだ。バンディットに三人は乗れない。
「でも、どうやって?」
「タイヤをパンクさせとくとか。釘ならいっぱいありそうだし」
 どこで拾ったのか、真奈は大きな釘を手にしていた。廃材置場だから、探せば木に刺さったままのものは見つかるだろう。
 少し考えて、ボクは首を横に振った。
「時間がないよ。逃げるときはクルマが入れないところに逃げればいいし、音を立てるのもあんまり感心しないな」
「そうかなあ?」
 真奈は少し不満そうだった。
 建物に近寄った。中からはエイベックス系のテクノ(だと思う)が聴こえてくる。それとけたたましい笑い声。どうしてこういう連中は無駄に声が大きいんだろう。
 汚れた窓の一つから中の様子を窺った。
 小さな体育館くらいあるここは元は加工場だったらしくて、中のスペースの三分の一ほどを占める大きな作業台や、機械が据えてあったらしいコンクリートの台座がある。奥のほうには壊れて動かなくなったサビだらけのフォークリフト。天井からはチェーンで材木を持ち上げるウィンチがぶら下がったままだ。正面のシャッターを開けると、ちょうど作業台の前にトラックをつけられるようになっている。外の置場から材木を運んできてここで加工、そのままトラックに載せて出荷という形になっていたようだ。
 建物の残りは加工中の材木を置いておく場所だったんだろう。真四角になるようにとられたそのスペースが、今は古閑たちのアジトになっているというわけだ。
「ひい、ふう、みい……。うっわ、多いな」
 隣で窓を覗き込みながら、真奈は指で中の人数を数えている。
 L字型に置かれた三人掛けのソファにそれぞれ三人、床に直置きしてあるコンポのセットの前に一人。そして、その真ん中でコンクリートの床に横座りしているのが一人。合計で八人。

 古閑らしいボウズ頭はこっちに背を向けるソファの一番端。その隣に姉貴のポニーテール。馴れ馴れしく肩に回した手の先にビールの缶が見える。古閑はそれを姉貴に飲ませようとしている。姉貴は露骨には断らないものの、嫌がってはいるようだ。古閑も無理に飲ませようとはしていない。反対の手にはタバコ。
 忙しないやつだな、どっちかにしろよ。
 姉貴を挟んだ反対側には今どきあんまり見かけないリーゼント。もう一つのソファも位置関係は同じ――女の子を男二人で挟んでいる。金髪の真ん中分けと茶髪のトサカという違いはあっても、誰彼かまわず睨みつけずにはいられない澱んだ目つきは同じだ。
 二人の間にいる子は、こういう男たちと詰め合わせセットのような枯れ草色の金髪の女の子だった。

 笑い声の主な供給源はここだった。どぎついアイメイクや露出しすぎの服からして、目指しているところが浜崎あゆみなのは間違いないけど、残念ながらそこへ到達するにはかなりの、しかも困難な道程がありそうだ。まずは歯並びの矯正にいかなくちゃならない。そのあとは断食道場か。
 コンポの前にヤンキー座りしていたのは小柄で痩せた男だ。モジャモジャの髪を後ろに束ねていて、歯をむき出しにして笑っている。何かやってるようには見えないけど、今は立ち上がって、軽くステップを踏みながらロー・キックの真似事をしている。まるで誰かを脅かすように。
 その”誰か”は真ん中で横座りしている女の子だった。モジャモジャの蹴りが空を切るたびにビクッと肩をすくめている。姉貴とは違う高校の制服を着ていて、セミロングの髪は赤みがかっている。目指すところがどこかは分からないけど、いずれにしても浜崎よりは彼女のほうがいくらか道は平坦に見える。
 何を話しているのかは分からなかった。表のシャッターから洩れ聞こえていた声が、この場所からはよく聞こえなかったからだ。
 真奈がボクの肩を指でつついた。
「あんまり状況は良くないね」
「うん。あいつら、何を話してんだろ?」
「見た感じじゃ、真ん中の女の子を吊るし上げてるみたいだけど。しっかし何よ、あのローキック。まったく腰が入ってないじゃない」
 そこは怒るところじゃないような気がする。
「誰か、知ってる顔は?」
「お姉さんの隣の軍艦カットは古閑の弟だと思う。ずっとアレがトレードマークなんだよね。それと、もう一つのソファの金髪女はウチの学校の卒業生」
「そうなの?」
「うん。アタシが弟をぶちのめした後、インネンつけてきたから。あの二人、付き合ってたのよ。今はそうじゃないみたいだけど」

 確かにそんな感じだった。二人が付き合っているんなら、他の男の間には入らないだろう。

「で、どうなったのさ、そのインネンは? まさか、あの歯並びの悪さは真奈に蹴っ飛ばされたから?」
「アタシ、女の子の顔を蹴るほど極悪人じゃないよ。やたら足クセの悪い女だったから、徹底的に下段で足を潰してやったけど」
「サラッと怖いこと言うなよ」
 真奈は素知らぬ顔でボクの指摘をやりすごした。
「さて、と。どうする、亮太?」
「……うん、どうしよう」
 真奈と話しながら、ボクはこの後の策を考えていた。
 警察を呼ぶのがベストの選択なのは間違いない。姉貴まで補導されるのは本意じゃないけど、ここまできて「一人だけ何事もなく放免」というほど都合よく物事が進まないのは覚悟しなくちゃならない。姉貴の恨みがましい視線に耐えることなんて、最悪の事態に比べれば何でもないことだ。
 問題はどうやって警察を呼ぶか――言い換えると、どんな容疑で警察に通報するかだった。
 今のところ、こいつらはまだ明確な罪を犯していない。
 十七歳の女子高生を夜に連れまわすのは、たぶん何かの法律か条例に引っかかると思う。でも、それだけで警察が動くとは思えない。そんなことを言ったら、箱崎埠頭あたりにいるヤンキー車はすべて検挙しなきゃならなくなる。動いたとしてもそれほど緊急の物事とは考えてくれないだろう。
 せめてこの廃材置場がもうちょっと民家に近いとか他の誰かの所有だったら、夜に騒がれて近所迷惑とか不法侵入とかいくらでも理由をつけられるけど、ここは古閑の親が経営する会社の持ち物、しかも山奥だ。どうにもならない。
 それでも、警察を呼ぶだけなら手はある。理由をでっち上げればいい。
 問題は呼んだ後だ。もし警察が踏み込んだときにそれなりの事実――つまり、古閑たちを逮捕するに足りる何かがなければ、せいぜい注意を受ける程度だろう。この場はとりあえず姉貴たちを解放することができるだろうけど、それは単に事態を先延ばしするだけだ。おまけに今度は警察もまともに取り合ってくれなくなる。
 何かが起こることを期待してるわけじゃないけど、何も起こらなければ動きがとれない。思わぬジレンマに眩暈がするほど腹が立った。
「六人かあ。さすがにちょっとヤバイよね」
 ボクが考え込んでるからか、真奈は窓からの監視に戻っていた。険しい眼差しや言ってることとは裏腹に、口許には舌なめずりしそうな不敵な笑みが浮かんでいる。

 間違いない。彼女は中のやつらをぶちのめす算段をしている。
「まさか、殴り込むつもりじゃないだろうね?」

 ボクは言った。
「仕方ないじゃない。打つ手がないんでしょ」
「そうだけど……。でも、それはやっぱり無理だよ」
「ビビってんの?」
 真奈は鼻白んだような視線を向けてくる。ボクは思わず彼女を睨みかえした。
「そうじゃない。この期に及んでビビるもんか。でも、冷静に考えろよ。六対二で勝てるわけないだろ」
 しかも二は数値どおりじゃない。見た限り、ボクが勝てる可能性があるのは金髪女と小柄なモジャモジャくらいだ。真奈は四人を相手にすることになる。
「じゃあ、どうすんのよ。お姉さんがあの真ん中の子みたいなことになってもいいの?」
 赤毛の彼女はさっきからモジャモジャに何やら問い詰められていた。俯き気味の彼女の顔を下から覗き込んでいる。ヤンキー座りでそうするにはかなり身体を捻らなきゃならない。傍から見れば滑稽な格好でしかないけど、彼女からすれば笑うどころの話じゃないだろう。
 ボクは真奈を引っ張って、その場を離れた。
「真奈。――頼みがあるんだ」
 ボクは言った。
「なによ?」
「警察を呼んできて欲しいんだ。正確に言うと、いつでも呼べるところまで行って待ってて欲しいんだ」
「……意味が分かんないよ」
 真奈は怪訝そうな顔をしている。
「警察なら携帯で呼べばいいじゃない。電波は来てるんだし」
「それは分かってる。ボクのも通じるしね。言いたいのはそういうことじゃないんだ。真奈、ここの場所を警察に説明できるかい?」
「えっ!? ……うん、やっぱり無理だけど」
 一度しか通っていないボクには山道の説明は最初から無理だし、バンディットの後ろで見ていた限り、いくら道を覚えるのが得意な彼女でも他人に説明するのは無理そうだった。何と言っても目印がなさすぎる。
「古閑建材の資材置場だって言えば分かるんじゃないの?」
「ここが住所登録されていればね。でも、ここには電話がない。君を待ってる間に一〇四で訊いてみたんだ。古閑建材でいくつ番号があるかって。届けがあるのは雁ノ巣の本社と津屋崎ってとこにある資材置場だけだった。電話で”古閑建材の資材置場”って言ったんじゃ津屋崎に行かれかねない」
「警察だって、そんなにバカじゃないと思うけど……」
 そう言いながら、真奈もはっきりとは否定できないようだった。

 ボクが心配しているのはそれだけじゃなかった。
 何を理由に通報するかにもよるけど、通報のときに「津屋崎じゃない、山の中の資材置場」と念を押せば、普通は警察はまず所有する会社に確認の連絡を入れるはずだ。
 しかし、今回はそうされるわけにはいかなかった。
 時刻からして、その電話を受けるのは古閑の親だ。彼らはすぐに悪さをしているのが自分の息子たちであることに気づくだろう。ここの場所をとぼけるわけにはいかなくても、そうなればすぐに連絡が入って、警察が到着した頃には誰もいなくなってしまう。
「なるほどね。それで?」
「ボクがこの場でやつらを見張る。君は警察が分かるところ――さっきのコンビニで連絡を待ってる。ボクが電話かメールで連絡を入れたら、すぐに一一〇番するんだ。そして、警察が来たらここまで連れてきて欲しい」
「どうしてアタシが連絡係なの? お姉さんにもしものことがあったとき、誰が助けるのよ」
「言ったろ、六人はいくら真奈でも相手にできないって。それにコンビニまでどうやって行くのさ。まさか、ボクにバンディットを運転しろって言うんじゃないだろうね?」
「そうだけど……」
 ついでに言うなら、真奈がバイクで警察を先導するような事態も避けたかった。いくら非常時でも無免許運転を見逃してはくれないだろう。
「……分かった」
 いかにも渋々といった感じで真奈は言った。
「頼んだよ。真奈だけが頼りなんだから」
「いまいち納得いかないけど。まあ、いいわ。その代わり――」
「何だよ?」
 真奈はボクの目をジッと覗き込んだ。ボクは場違いにも鼓動が早くなるのを感じた。
「もし、お姉さんの身に何かあったとしても、絶対にムチャしないでね」
「大丈夫、そんな怖いことできないって。何と言っても、ボクは弱虫だからね」
「まだそんなこと言ってる。意外と根に持つタイプなんだね、亮太って」
 真奈は少しだけ渋い顔をした。ボクは笑った。自分がこの場で浮かべたいと思った、穏やかで自信に満ちた笑顔を浮かべられた気がした。

「約束するよ。ムチャはしない。だから、早く行ってくれ」
 急ぎ足でこの場を離れる真奈を見送って、ボクは時間の計算をした。
 ここからコンビニまでがおよそ一〇分。
 問題は警察に電話をかける段階から後だ。いくら真奈が理路整然と話したとしても、説明に五分はかかるだろう。警察がすぐに動いてくれたとして、コンビニまで五分以内ということはない。まあ、一〇分というところか。そして、ここへ戻ってくるのに一〇分。計二十五分。姉貴に取り返しのつかない傷を――身体だけじゃない。心にも、だ――負わせるのには充分すぎる時間だった。

 建物の中を覗き込んだ。

 どうやら事態は少しずつ進行しているようだった。さっきまで座っていた赤毛の子は床に打ち倒されている。得意げにピョンピョンとステップを踏むモジャモジャの姿。囃し立てる周りの面々。その中で姉貴だけが後姿でも分かるくらい身を硬くしている。
 真奈には事態が動いたら連絡を入れると言った。でも、ボクには最初からそんなつもりはなかった。
 ボクは真奈に向けてメールを打った。細かい指示を書き込むとメールはかなりの長さになった。コンビニに着いたらすぐに警察を呼ぶように――そういう内容だ。打ち合わせの内容と違っているのは、被害者が姉貴でもなければ床に座り込んでた赤毛の子でもないことだ。
 警察を動かすには理由が必要だ。言い換えれば被害者が必要だ。だったら、やつらが行動を起こすのを待たなくても他に手はある。
 被害者は作ればいい。ボクは金属バットを握り締めた。

 ゴメン、真奈。約束は守れそうにない。