翡翠日記 -12ページ目

翡翠日記

日々の出来事、できるだけ書いてきます

試合中、選手に向かって
ミスしてもいいよ❗
ってよく聞きます。
それはほんとでしょうか?

選手はミスを前提にチャレンジしてホントに経験や体験になるのでしょうか?
もちろん、その言葉の裏にあるニュアンスは理解できます。でも、ホントにみんながそれを理解しています?

失敗を恐れるばかりにチャレンジしないのは一番残念ではありますが、許容する事の意味をはき違えるとそれも残念。

でも・・・考えてみてください。そもそも選手はミスしてもいいから❗と思ってプレイするでしょうか?
それでミスしても
「いいよ❗いいよ❗」
で流されてしまってそれはホントにいいのでしょうか?

失敗が責められる事(他人が責めていいこと)なのか?という事ではありません。

でも、どんな選手だって失敗していいと思ってプレイはしないです。よね⁉
失敗した時に

いいよ❗いいよ❗

とだけ言われても・・・

選手としては

『何が⁉失敗して何がよかったの❓』

と思ってしまいませんか?

いいよ❗って何がよかったのか?失敗した事がよかったのか?そんなはずないですよね⁉
むしろチャレンジして失敗したなら尚更、何かないといけないのでは?
反って
どうせチャレンジしてもこの人はいいよしか言ってくれないから❗チャレンジしても得るものがない』
そう思われてしまったら😅

この一見、寛容的な言葉の裏に時々、無責任な放置を感じてしまうことがあります。



まあ、乱暴に

何してんだ❗

しか言わないのもどうかと思いますけど。

選手は何を求めているのか?このタイミングで何を身につけて成長したいのか?

そこではないでしょうか?

だから場合によっては
何してんだ❗と突き放して自分で考えさせることが必要な時もあると思うんです。

失敗してもいいよ❗チャレンジしよう❗

う~~~ん

どうもしっくりこない最近です。
昨日の四年生の練習試合後に参加していただいたチームの指導者の方と情報交換を。
その中で面白かったのは

判断は遅く!

という事。
以前からゆっくりやろう❗をなんとか四年生にはやってもらおうってやって来ましたがそのひとつにこの判断の遅さ。というモノが要素としてあるとお話を聞かせていただきました。

判断の遅さというのは何か?

よく判断が遅い❗』って言います。
私もです。
でも子ども達に遅く(ゆっくり)を話していろいろ試してみて思ったのはなんでゆっくりすると良いのか?って事。
もちろんプレイの質は少し上がります。それはミスが少なくなりますからね。その積み重ねが最後は正確な結果を生むこともありますよ。
でもそれだけかな?という考えがここ暫くありました。そのひとつの答えが昨日のお話の中にあったように感じました。

判断のスピード(というかタイミング)

これじゃないか?

多分、技術がない選手は判断を速くしないとミスをする。

そういう事⁉

大抵の子どもはやはり技術は未熟。判断を速くしておかないと間違いなく失敗する。
結果慌てる。
だから少年サッカーでは
『判断を速くしよう』ってなるのかな。

お話自体はこの前のクラシコを題材としてお話してくれたのですが、要は判断を下すのはギリギリまで待つ。って事。

もちろんそれを待てるだけの技術が絶対不可欠となります。
速く(短く)するとしたら判断から行動までの時間であって、でもその判断すら直前で変えられる。その技術が必要。

いや、そんなの子どもには無理だよ❗という方にはもう仕方ないけど。
でも
そんなの無理だよ』
って大人が言ったらそれこそ子どもには無理では?

速い判断よりも正確な判断。

それを求めないと❗
自分がそんな正しい判断をするために技術を磨かないと❗

もちろんたくさんの選択肢があってその中で

どれにしよっかなぁ🎵
あ、これだ❗
でも、やぁめた🎵やっぱ、こっち~😋

そういう判断をするために技術を活用するべきで。自分をアピールするための技術は絶対に必要ない。
最近の子どもたちの技術からはなんかそんな事を感じてしまいます😃
人としてどうかと思ってしまうことが仕事でもプライベートでもあります。
自分の価値観が正しいと人に押し付けて他人の意見に耳を傾けない。若い人ならそれでもまだありかな?とは思うけど(まだね)

でも、そういう人もその人のこれまでの経験だって過程だってあるわけで。その上で成り立っている価値観でもあるわけです。
なるべくそういう事にも自分は耳を傾けようという努力はしているつもりです。これが自分の価値観(プラスにもマイナスにも)にもなるかもしれないですから。

私は子どもと話をする機会があるので当然子ども達にも価値観が存在するわけです。よくそんな価値観に驚かされる事もあります。
なるほど‼素晴らしい‼
と思う事を言ってくれたり行動で見せてくれます。

〇〇はダメです。
という言葉。苦しいです。簡単な言葉だからついつい出てしまいます。考え方を前向きにしようとしてもやっぱり出てしまいます。もちろん、それを連呼することはないですが。でも、ダメという言葉こそが価値観の押し付けであって・・・
子どもとのサッカーの場面でも
『そんなプレイはダメだよ。』
ついつい出てしまいます。言ってから
「あぁ」
って感じ。それはきつく言おうが優しく言おうが同じなんだと思います。
もちろん、本当にダメという事だってありますよ。
でも大抵の場合、それは本当にダメな事なのか?自分がそう思っているだけでは?というのが大概を占めています。

悩みます。
いろんなところで耳にしませんか?
ダメ、ダメ、ダメって。

それからまさに価値観が異なる場合。お互いの価値観を合わせたら凄い相乗作用を生むのに‼と思ってしまうことがあるのですが、大抵はこういう場合は歩みよりはない。とても残念でなりません。客観的に聞いていればどちらも間違っていない。いや、むしろどちらも正しい‼なのにどうして?と思ってしまいます。真逆のベクトルは単にお互いの力を打ち消すだけだけどお互いが少し相手の方向に歩み寄れば小さいけど新しいベクトルが生まれるはず。でもそれがないでしょ。
仮に相手が歩み寄らなければ自分が少し相手寄りに歩み寄れば新しいベクトルが生まれてそのベクトルは相手が思う方向よりも自分が歩み寄った分だけ自分寄りになる。相手は自分寄りになんか動いた!と勘違いするかもしれないけど実はちがうんじゃない。それをわからないから互いに逆方向に引っ張り合うだけ。

実にもったいない‼


価値観の一致なんて悪いけど無理。そんなの親でも兄弟でも無理だと思います。でも、たくさんのベクトル(価値観の方向)を持つことができたらたくさんの人と合わせる事ができて力を発揮できるんじゃないかな。

難しいけどそう思う。

それが

人としての幅であり深さ