楠板本尊に関するこれまでの記事 7
今回は、mixiコミュニティに投稿されていた文書の紹介と、宗門および法華講員に、弘安2年10月図顕とされる楠板本尊に対する証明の要求を記載しています。
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本門戒壇の大御本尊は大聖人滅後に模刻されたという証拠の数々 1 | 明るい未来へ弟子として生きる
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本門戒壇の大御本尊は大聖人滅後に模刻されたという証拠の数々 2 | 明るい未来へ弟子として生きる
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本門戒壇の大御本尊は大聖人滅後に模刻されたという証拠の数々 3 | 明るい未来へ弟子として生きる
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本門戒壇の大御本尊は大聖人滅後に模刻されたという証拠の数々 4 | 明るい未来へ弟子として生きる
2014年05月にmixiコミュニティに投稿されていた素晴らしい文書
(http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3137679&id=76285276)
を数回に分けて紹介、 尚、一部文書簡略化し、侮蔑的表現等も削除しています。
1 )日興上人が身延を離山し、富士に移る際の宝物の中に板本尊の記録は無い(是1)
2)日目師等の残した日興上人御遺跡事の中で、本門寺本堂に安置するものの記載は「日蓮聖人御影並びに御下文」しか記載されていない(是2)
3)戒壇の大御本尊の主題と日禅授与本尊の主題は極めて高い一致(是3)
4)戒壇の大御本尊の座配と日禅授与本尊の座配は完全に一致(是4)
5)「南無大迦葉尊者」の記載は弘安3年3月から11月に限られる(是5)
6)日興上人が書写された多数の御本尊は日禅授与本尊以外の御本尊を書写している(是6)
7)歴史上初めて板本尊の記録が残るのは、大聖人滅後約280年も経った1561年の保田妙本寺日我の文書(是7)
8)大石寺派の文献で最初に板本尊の記録が残るのは、1573年以降の日主の文書(是8)
9)大石寺の貫主が、本門寺の本堂に安置する本尊は万年救護本尊で、今は房州妙本寺にある、と記録している(是9)
以上の事を総括すれば、日顕は河辺に対して「偽物である」と言った様ですが、これは間違いで、戒壇の大御本尊は事実として立派な模刻本尊なのです。 ただ、弘安2年10月の建立ではなく、弘安3年5月の日禅授与本尊を模刻して、(日顕の分析が正しければ)大聖人滅後100年以上経ってから建立された代物なのです。(投稿者:mixiユーザーさんの言)
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弘安2年10月御図顕板本尊に対する証明 | 明るい未来へ弟子として生きる
弘安2年10月御図顕板本尊に対する証明(法華講妙相寺所属の樋△氏が、未だ証明できず遁走した様々な事象)
「弘安2年10月12日 宗祖御図顕 板本尊」なるものが、日蓮大聖人が自ら御図顕し、その板本尊の造立に関わり、それを出世の本懐とされたという事象は、未だ証明されていない。 恐らく、証明は不可能だろう。
①弘安2年10月12日又はその前後1ヶ月でも良いが、日蓮正宗大石寺において、「本門の戒壇の大御本尊」と呼称する板本尊の「全相貌」を身延山で日蓮大聖人が御図顕したという証明。
②その板本尊を弟子の日法が彫刻したという証明。
③弘安2年10月12日又はその前後1ヶ月でも良いが、日蓮大聖人が板本尊造立に関わったという証明。(A. 日蓮大聖人が木製にせよと指示された証拠、B. 彫刻中の日法に指南された証拠等々、何でも良い。一つでも証拠を示すべし。)
④その板本尊を日蓮大聖人が「出世の本懐」と意義付けた直接の証拠。
⑤その板本尊を広宣流布の時に「本門寺の戒壇に安置する御本尊」と日蓮大聖人自身が意義付けた証拠。
⑥日蓮大聖人がその板本尊以外の本尊を「一機一縁」と意義付けた又は呼称した証拠。
⑦日蓮大聖人が「文永、建治、弘安期の御本尊には、年代に応じて差異がある」と指南した証拠。 後代の人物の説法ではなく、日蓮大聖人自身が教示された証拠。
⑧日蓮大聖人が「曼荼羅本尊には様々な意義付けというものがあり、自身が図顕した中でも特定の一つの曼荼羅本尊だけが特別である」とした証拠。
⑨日蓮大聖人が「本尊に関する権能を唯受一人で血脈相承」をした証拠。
⑩「本門戒壇の大御本尊」という、当たり前の様に思っていた呼称表現は、いつ、どこで、誰が言い出したのか。
⑪「本門戒壇の大御本尊御図顕は日蓮大聖人の出世の本懐である」とは、いつ、どこで、誰が言い出したのか。
引用元
http://www.youtube.com/watch?v=1Ee5Rb6zjak
(日蓮正宗toyoda.tvが法論遁走!埼玉総責任者脱退!)