師匠と我らとの関係 9(聖愚問答抄)

 

 

聖愚問答抄における弟子との関係

 

本抄は、文永2<1265>年大聖人44歳の御作とされ、対告衆明らかでなく、聖人と愚者との問答形式です。前半は諸宗の破折です。愚人は、諸宗をさまよう人ですが、突き詰めると我々弟子の事であり、聖人こそが日蓮大聖人その人なのです。今回は、具体的な指導はありませんが、妙法の素晴らしさを改めて認識しうる御文です。

 

 

「今この妙法蓮華経とは、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道なり。されば、釈尊は付嘱を宣べ、多宝は証明を遂げ、諸仏は舌相を梵天に付けて『皆これ真実なり』と宣べ給えり。この経は、一字も諸仏の本懐、一点も多生の助けなり。一言一語も虚妄あるべからず。この経の禁めを用いざる者は、諸仏の舌をきり、賢聖をあざむく人にあらずや。その罪実に怖るべし。」(聖愚問答抄上 新554頁・全480-1頁)

現代語訳:今、この妙法蓮華経とは、諸仏出世の本懐であり、衆生の成仏の直道です。だから、釈尊は付嘱を宣言し、多宝如来は証明を行い、諸仏は舌相を梵天に付けて「皆是れ真実なり」と述べられたのです。この法華経は一字でも諸仏の本懐、一点でも多生の助けとなります。一言一語も虚妄であるはずがありません。この法華経の禁めを用いない者は、諸仏の舌をきり、賢人聖人を欺く人ではないでしょうか。その罪は本当に怖ろしい事です。

※本抄での諸宗破折は明解であり、その後、法華経の信受の素晴らしさと戒禁破りの罪を御教示されているのです。

 

 

「汝、実に道心あらば、急いで先非を悔ゆべし。夫れ以んみれば、この妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ、十界の依正を三千につづめたり。」(聖愚問答抄上 新562頁・全487頁)

現代語訳:あなたにまことの求道心があるならば、急いで過去のあやまちを悔いるべきです。さて究極の道理を考えてみると、この妙法蓮華経こそが、釈尊一代の観心の法門を一念におさめ、十界の依正を三千におさめているのです。

※仏法の根本義である妙法を讃嘆して、愚人に、強いては我々に、示されているのです。

 

 

「されば、天台大師の釈を披見するに、他経には、菩薩は仏になると云って二乗の得道は永くこれ無し。善人は仏になると云って悪人の成仏を明かさず。男子は仏になると説いて女人は地獄の使いと定む。人天は仏になると云って畜類は仏になるといわず。しかるを、今経はこれらが皆仏になると説く。たのもしきかな。末代濁世に生を受くといえども、提婆がごとくに五逆をも造らず、三逆をも犯さず。しかるに、提婆なお天王如来の記莂を得たり。いわんや、犯さざる我らが身をや。八歳の竜女、既に蛇身を改めずして南方に妙果を証す。いわんや人界に生を受けたる女人をや。ただ得難きは人身、値い難きは正法なり。汝、早く邪を翻えして正に付き、凡を転じて聖を証せんと思わば、念仏・真言・禅・律を捨てて、この一乗妙典を受持すべし。もししからば、妄染の塵穢を払って清浄の覚体を証せんこと疑いなかるべし。」(聖愚問答抄下 新567-8頁・全490-1頁)

現代語訳:天台大師の釈を開いて見ると、「他経には、菩薩は仏になると説いて二乗の得道は永遠にない。善人は仏になると説いて悪人の成仏は明かさない。男子は仏になると説いて女人は地獄の使いと定めている。人天は仏になると説いて畜類は仏になるとは説かない。ところが、今の経(法華経)はこれらが皆仏になる」と説かれています。頼もしいことです。末代濁世に生を受けたけれども、提婆達多の様に五逆罪をも造らず、三逆罪をも犯していません。それなのに、それを犯した提婆達多でさえ、なお天王如来の記別を得たのです。だからこそ、犯さない我等の成仏は疑いないのです。八歳の竜女は、すでに蛇身を改めないで、南方に妙果を証得しました。だから人界に生を受けた女人の成仏は、間違いないのです。ただし、得難いのは人身であり、値い難いのは正法です。あなたも早く邪法への信を翻して正法に付き、凡夫を転じて聖果を証得したいと思うならば、念仏・真言・禅・律を捨てて、この一乗妙典である法華経を受持すべきです。もしそうであるならば、虚妄に染められた生命の塵芥を払って清浄の覚体を得ることは疑いないのです。

※爾前の諸経には、二乗・菩薩が「歴劫修行」といって、無量劫の長期間に亘って修行しても仏に成り難い、とあります。法華経提婆達多品には、「汝が神力を以って、我が成仏を観よ。」と言って、8歳の竜女が、忽然と変じ男子と成って(変成男子)成仏し、妙法を演説したと説かれています。この様に、法華経の功徳は絶大なのですね。

 

 

「法理をもしらず、煩悩をもしらずといえども、ただ信ずれば、見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて、実報・寂光の台にのぼり、本有三身の膚を磨かんこと疑いあるべからず。されば、伝教大師云わく『能化・所化ともに歴劫無し。妙法経力もて即身成仏す』と。法華経の法理を教えん師匠も、また習わん弟子も、久しからずして法華経の力をもって、ともに仏になるべしという文なり」(聖愚問答抄下 新580頁・全499頁)

現代語訳:法理をも知らず、煩悩をも知らないとしても、ただ信ずれば見思、塵沙、無明の三惑の病を同時に断じて、実報・寂光の浄土に到り、本有の三身如来の生命を磨きあらわすことは疑いないのです。それ故に、伝教大師は法華秀句で「能化も所化もともに長劫にわたる修行を経ることなく、妙法蓮華経の力で即身成仏する」と説かれているのです。法華経の法理を教える師匠も、また学ぶ弟子も直ちに法華経の力でともに仏になる、との文なのです。

※能化とは能く他を化導・教化する人つまり師匠のことであり、所化とは化導・教化を受ける我々であり日蓮門下をいいます。御本仏日蓮大聖人の仏法によって、我々も仏の様に敬われる存在にならなければなりませんね。

 

 

◎本抄の内容は、先ず律、浄土、真言、禅の各宗の智者(上人・居士)が次々に来て自宗の信仰を勧めます。その度に愚者は、その義に納得しますが、終いには何が是か非かと迷い、法華経の実力を聞くにおよんで真実の法を求めて法華経の聖人を訪ねるのです。私達も真の人生哲学を求めて、現在の境涯に至ったことを感謝したいですね。

 

 

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