日蓮仏法の私なりの解釈 5 (仏法と病の関係 1)

 

仏法の病の考え方

 

 

インド応誕の釈迦は、生・老・病・死の四苦に悩んで、出家したとされています。

病苦以外の三苦は、全ての生物が絶対に通らなければならず、科学的な解決方法も考えられません。 一方、病苦は人によって関わりは異なるが、これを解決することが人類の課題となっています。

大聖人も病気について、種々述べておられますので紹介します。

 

 

「日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず、たまたま仏法を知る智者は国の人に捨てられ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失い利生を止め、この国をすて他方に去り給い、悪鬼は便りを得て国中に入り替り、大地を動かし、悪風を興し、一天を悩し、五穀を損ず。故に、飢渇出来し、人の五根には鬼神入って精気を奪う。これを疫病と名づく。一切の諸人、善心無く、多分は悪道に堕つること、ひとえに悪知識の教えを信ずる故なり」(唱法華題目抄 新11頁・全8頁)

現代語訳:日本国中の人々は仏法を行じている様に見えて、実は仏法を行じていないのです。たまたま仏法を知る智者がいたが国の人から捨てられ、守護する諸天善神は法味を得ることができない故に威光を失って人々を利益しなくなり、この国を捨てて他方の国土へ去られた。悪鬼は、それにつけこんで国中に入り替わり、大地を動かし暴風を吹かせ、天下を悩ませて五穀を損なわせるのです。その結果飢饉が起こり、人の五根にも悪鬼が入って精気を奪います。これを疫病というのです。一切の諸人は善心を失って、その多くが三悪道に堕ちるのです。これらはひとえに悪知識の教えを信ずる為に起こるのです。

※悪知識を信じて弱くなった生命力につけこむのが、悪鬼(疾病)であり、三悪道に堕ちる因縁を作ることになるのですね。

 

 

「問うて云わく。智人なくば、いかでかこれを対治すべき。例せば、病の所起を知らぬ人の病人を治すれば、人必ず死す。この災いの根源を知らぬ人々がいのりをなさば、国まさに亡びんこと疑いなきか。あらあさましや、あらあさましや。答えて云わく。蛇は七日が内の大雨をしり、烏は年中の吉凶をしる。これ則ち大竜の所従、また久学のゆえか。日蓮は凡夫なり。このことをしるべからずといえども、汝等にほぼこれをさとさん」(撰時抄 新200頁・全284-5頁)

現代語訳:問うて言います。智人がいなければ、どうしてこの様な大災難を対治することができるでしょうか。病の起きる原因を知らない人が、その病気を治そうとすれば、必ず病人は死んでしまいます。この大災難の根源を知らない人々が祈りをなしたならば、国がまさに亡びることは疑いないでしょう。まことに、あさましいことです。答えて言います。蛇は七日の内の大雨を知り、烏はその年の吉凶を知ると言います。(何故かといえば)蛇は大竜の家来であり、(烏は)久しく世間で起きるべきことを学んできた為なのでしょう。日蓮は凡夫ですから、この事を知っていない(と思われている)けれども、あなた達に、概略この事を教え諭そうと思います。

※大聖人こそが、人々を救済する方法を一番御存知なのです。

 

 

「夫れ、病に二あり。一には軽病、二には重病。重病すら、善医に値って急やかに対治すれば、命なお存す。いかにいわんや軽病をや。業に二あり。一には定業、二には不定業。定業すら、能く能く懺悔すれば、必ず消滅す。いかにいわんや不定業をや。法華経第七に云わく『この経は則ちこれ閻浮提の人の病の良薬なり』等云々」(可延定業書 新1307頁・全985頁)

現代語訳:そもそも病には二つあります。一には軽病、二には重病です。重病でも善い医者にかかり、早く治療すれば命を永らえることができます。まして軽病はいうまでもありません。業には二つあります。一には定業(果報を受ける事や時が定まっている業、善業と悪業がありここでは悪業のこと)、二には不定業(果報を受ける事や時が定まっていない業)です。定業でもよくよく懺悔すれば必ず消滅します。まして不定業はいうまでもありません。法華経第七の巻薬王菩薩本事品第二十三には「この経は、全世界の人の病を治す良薬である」等と説かれています。

※自身の病気が何なのかを正確に知り、善処を尽くして御本尊に身を任せる事も必要ですね。

 

 

「『病の起こる因縁を明すに、六有り。一には四大の順ならざるが故に病む。二には飲食の節ならざるが故に病む。三には坐禅の調わざるが故に病む。四には鬼便りを得。五には魔の所為なり。六には業の起こるが故に病む』云々。大涅槃経に云わく『世に三人のその病治し難きもの有り。一には大乗を謗ず。二には五逆罪あり。三には一闡提なり。かくのごとき三病は、世の中の極重なり』云々。また云わく『今世に悪業成就し乃至必ず応に地獄なるべし乃至三宝を供養するが故に、地獄に堕ちずして現世に報いを受く。いわゆる頭と目と背との痛みなり』等云々。止観に云わく『もし重罪有るも乃至人中に軽く償う。これはこれ業の謝せんと欲するが故に病むなり』云々」(太田入道殿御返事 新1358頁・全1009頁)

現代語訳:「病の起こる因縁を明かすのに六種ある。一には地・水・火・風の四大が順調でない故に病む・二には飲食が節制されていない故に病む・三には坐禅が正しく調わない故に病む・四には鬼が便りを得る・五には魔の為すところ・六には業の起こる故に病む」とあります。大涅槃経に「世の病に治し難い三種の人がある。一には大乗を誹謗する人・二には五逆罪を犯す人・三には一闡提の人、このような三種の病は世の病のうち極めて重い」とある。また「今世に悪業を成就し(乃至)必ず地獄に堕ちるだろう(乃至)仏・法・僧の三宝を供養する故に地獄に堕ちることなく現世に報を受ける。いわゆる頭と目と背との痛み」等とある。摩訶止観に「もし重罪を犯して(乃至)人の中で軽く償うと。これは悪業が消滅しようとする故に病むのである」とあります。

※この御文は大聖人が、天台大師の『摩訶止観』第八上で述べた病の因縁を引用したものですが、これを現代科学的に解釈することもできます。

①  「四大不順」は、我々の肉体を形成している四大(地:筋肉・骨格、水:血液・水分、火:体温、風:呼吸)の異常について述べられているが、環境である気候に影響して起こる熱中症や低体温症、風邪ひき等も該当するでしょう。

②  「飲食不節」は、暴飲暴食や偏食・過食少食から来る五臓(肝臓、肺臓、心臓、脾臓、腎臓)の不調和とされていますが、胃潰瘍や腸炎等の消化器系疾患に加え、成人になれば気になる高血圧や糖尿病等の生活習慣病も該当するでしょう。

③  「座禅不調」は、睡眠不足・運動不足、逆に肉体疲労・強度のストレスから、姿勢を正せず精神が安定していない状態であり、関節痛・リューマチ等に加え、自律神経失調・循環器系疾患等が該当するでしょう。

④  「鬼神得便」は、細菌やウイルス性感染症・伝染病等が該当し、鬼病は、悪鬼神が修行者の邪念に乗じ、人の四大・五臓に入って悩ますのだそうです。

⑤  「魔の所為」は、不安症・躁鬱症・統合性失調症等の精神的疾患が該当するのでしょうが、魔病の魔は、観心を破って成仏を妨げ邪念に依って人の功徳を奪うのだそうです。

⑥  「業起故病」は、遺伝性疾患が該当し、過去の宿業や今世の破戒が、先世の業を動かし業病となるそうです。

 


「病あれば死ぬべしということ不定なり。このやまいは仏の御はからいか。そのゆえは、浄名経・涅槃経には、病ある人仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候なり」(妙心尼御前御返事 新1963頁・全1479-80頁)

現代語訳:病に罹れば必ず死ぬ、とは定まっていません。(あなたの)この病は仏の御はからいでしょうか。その訳は、浄名経や涅槃経には、病がある人は仏になる、と説かれています。病によって仏道を求める心が起こるのです。

※病に向き合い自身の宿命を転換していける、これこそ御仏智であると確信できるのです。

 

 

◎大聖人の御文にある通り、病気に罹った時、自分勝手に判断・治療を試みるのではなく、医師に正しく診断していただき、指定された適切な薬剤を服用するのが、正しい信仰者の在り方ではないでしょうか。規則正しい生活の中で、真剣に唱題することにより、強い生命力が湧現して、治癒されるのですね。

 

 

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