一、三、六大秘法に対する私の解釈 16

 

 

三大秘法 12

 

 

己身の三大秘法 後編

 

 

「我等衆生の色心の二法は妙法の二字なり無始色心・本是理性・妙境妙智と開覚するを大意と云うなり、大は色法の徳・意は心法の徳なり大の字は形に訓ぜり、今日蓮等の類・南無妙法蓮華経と唱え奉る男女・貴賤等の色心本有の妙境妙智なり、父母果縛の肉身の外に別に三十二相・八十種好の相好之れ無し即身成仏是なり、然る間大の一字に法界を悉く収むるが故に法華経を大乗と云うなり、一切の仏菩薩・聖衆・人畜・地獄等の衆生の智慧を具足し給うが故に・仏意と云うなり、大乗と云うも同じ事なり是れ即ち妙法蓮華経の具徳なり」(御講聞書 全814頁・新1131頁)

 

現代語訳:我等衆生が持つ色心の二法は妙法の二字であり、無始色心・本是理性・妙境妙智と開覚するのを大意と云うのです。大は色法の徳であり意は心法の徳であって、大の字は形で日本語にあてはめたのです。今、日蓮及びその門下は、南無妙法蓮華経と唱え奉る男女・貴賤等の色心本有の妙境妙智であり、父母果縛の肉身の外に別に三十二相・八十種好の相好は無く即身成仏がこれなのです。この様な場合に、大の一字に法界を悉く収めているので法華経を大乗と云うのです。一切の仏菩薩・聖衆・人畜・地獄等の衆生の智慧が具足されているので仏意と云うのです。大乗と云うも同じ事であり、これ即ち妙法蓮華経の具徳なのです。

※唱題する日蓮門下は、色心本有の妙境妙智を持って即身成仏をする、これが妙法蓮華経の具徳と仰せです。

 

 

「寿量品の自我偈に云く『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず』云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり」義浄房御書(己心仏界抄)全892頁・新1197頁)

 

現代語訳:如来寿量品第十六の自我偈に「一心に仏を拝見しようとして、自ら身命を惜しまない」とあります。日蓮の己心の仏の境界を、この文によって顕すのです。その理由は、寿量品に説かれている事の一念三千である三大秘法を成就しているのが、この経文だからなのです。

※大聖人は、寿量品の「一心欲見仏、不自惜身命」は本門の題目、「時我及衆僧、倶出」は本門の本尊、「霊鷲山」は本門の戒壇であり、「我及び衆・僧共に」つまり衆生全員が本門の本尊である、と述べておられるのです。

 

 

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」(日女御前御返事全1244頁・新2088頁)

 

現代語訳:この御本尊を決して、よそに求めてはなりません。ただ、私達衆生が法華経を持って、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのです。これを九識心王真如の都(九識は仏界という尊極の生命のことで、九識が生命の根源・根本に存在する常住不変の真理である故にこの様に呼ばれる)というのです。

※衆生が「法華経を持つ」は本尊、「南無妙法蓮華経と唱える」は題目、「胸中の肉団の九識心王真如の都」は戒壇ではないでしょうか。

 

 

「多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへば・さにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く『法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す』とはこれなり」(阿仏房御書 全1304頁・新1733頁)

 

現代語訳:あなたが多宝如来の宝塔を供養されておられるのかと思えばそうではないのです。(仏が)我が身を供養しておられるのです。我が身がまた三身即一身の本覚の如来なのです。この様に信じて南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。此処がそのまま宝塔の住処なのです。法華経見宝塔品第十一に「法華経を説く処には、我がこの宝塔がその前に涌現する」と説かれているのはこの事なのです。

※我が身が本覚の如来⇒つまり本門の本尊、南無妙法蓮華経と唱える⇒本門の題目、此処がそのまま宝塔の住処⇒本門の戒壇、と仰せなのです。

 

 

「此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候、南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候」(妙一尼御前御返事 全1402頁・新2098頁)

 

現代語訳:この法華経には、我等の身体を法身如来、我等の心を報身如来、我等の振る舞いを応身如来と説かれていますから、この法華経の一句一偈を持ち信ずる人は、皆この功徳を具えることができるのです。南無妙法蓮華経というのは、法華経の一句一偈なのです。

※我等の身体→法身如来、我等の心→報身如来、我等の振る舞い→応身如来なので、唱題することで功徳を供えるのでしょう。

 

 

「我等衆生悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即法・報・応の三身と顕われん事疑ひなかるべし、妙法経力即身成仏と伝教大師も釈せられて候」(妙一尼御前御返事 全1403頁・新2100頁)

 

現代語訳:我等衆生の悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三因仏性の因によって、即法・報・応の三身如来と顕れることは疑いないことです。「妙法の経力を以て即身に成仏する」と伝教大師も解釈されています。

※我等は、妙法の功力により悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三因仏性の因によって、法・報・応の三身如来と顕れ即身成仏する、と仰せなのです。

 

 

◎日蓮仏法は、生命を最大限に尊厳し、民衆一人一人が他に代えがたい尊い存在であり、その繋がりが友情になり、友情の延長と周りへの感謝から創価家族が作られ、これらの広がりから地域友好が形成され、やがて国境を越えて世界平和が達成される、と信じるに値する宗教なのです。

信仰は自由ですが、どれだけ自身の人生にとって社会にとって有益な宗教なのか、が大切ではないでしょうか。

 

 

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