続 日蓮仏法に於ける一大秘法 7

 

 

歴代僧侶の「妙法蓮華経の五字」の引用文書 7

 

「妙法蓮華経の五字」に連なる語句を紹介しています。

 

 

本是院日叶 後の左京阿闍梨日教上人(生存期間 西暦1428年-不明)1

 

日教上人は、初め朝山妙蓮寺日耀の門に入り本是院日叶と名乗り、京都住本寺の日広の代官として出雲日耀と共に文明元(1469年に幕府に諌状(下記文章、筆者は、首題こそ「妙法蓮華経の五字」と推考)を呈している。その後、文明13,4年の頃、大石寺9世日有の門に帰し名を左京阿闍梨日教と改めた。

 

前期 本是院 日叶 時代

 

「請ふ早く邪法興行の僻宗を改易せられ特に法華本門の首題を崇敬せられば天下安全国土興復を致さん(中略)

時宣の弘経を知らず本門の首題を忘れて所捨の名号を執し(中略)

時機を鑒るに後五百歳に本門の首題流布有るべき明文を崇重して当御代に等く勅命を仰がん」(尊門 日叶 記第六国諌 日叶の諌状』要富集8382頁)文明元(1469年 祖滅188

 

「一文を扶けて卞和璧を三皇に献じ拙身既に万善を得たり争か是れを献ぜざる者あらんや、其の善とは本門三箇の秘法妙法蓮華経是れなり」(尊門 日叶 記第六国諌 日叶の諌状』要富集8383頁)

 

「日蓮御勘文言上に云く、読誦し奉る寿量品を以て助行と為し・唱え奉る妙法蓮華経を以て正行と為し・正助二行整束して之を読誦し奉る」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2176頁)著作年不明 天文161547)年8月 要法寺12代 日在が書写

 

「衆生迷ひ多く多衆生と成る諸仏覚る故会して一仏と成る文、大漫荼羅の中等の妙法蓮華経とならば何ぞ別して位牌を立つべしや」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2184頁)

 

「当家の意も宝塔品と日蓮聖人と同躰なり、彼も妙法蓮華経の五大の宝塔、此も妙法蓮華経の五大の我なり(中略)

文字曲がりては直心とは云い難しとは是四菩薩也、妙法等の五字なり」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2199頁)

 

「当家示して云く如是我聞を以って法花の肝要とせり、妙法蓮華経を如是我聞する也」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2203頁)

 

「神功皇后の異国対治の時に戒定慧の三学の本門を理と見たり、只妙法の五字を埋めて異国を対治するなり」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2204頁)

 

「玄文に此の妙法蓮華経は三世の如来の本来として具足し玉ふ処を根本として衆生も具足する故に根本法華と云ふか」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2216頁)

 

「地涌の大菩薩末法の初に出現せさせて給て本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を閻浮提の一切衆生に唱へさせ玉ふべき先序のためなり(中略)

迹化薬王等の諸大士の望かなはず末代の大難しのびかたければ真の大弟子に妙法の五字を譲り玉ふなり」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2224頁)

 

「此一乗は神力品の時結要五字し玉ふ処を撮其枢柄而授之妙法蓮華経是なり、是を畢竟住一乗於仏滅度応受持斯経は題目の五字也是を一乗と云故に今本門と得意すべきなり」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2225-6頁)

 

「法華とは因分の名なり本因妙の全躰也妙理とは題目の五字なり」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2231頁)

 

妙法蓮華経の五字は法譬人と題す余経に替るなり(法華、蓮華、蓮花、経の解説あるが、省略)妙法蓮華経の義のかさる文と云ふなり」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2231頁)

 

「日蓮とは本門教主釈尊の習ひ形像は妙法蓮華経を蓮臺に仮座今の中尊是なり(中略)

当宗は中尊に妙法蓮華経・蓮が日蓮なり(中略)

今は円と云ふ妙法蓮華経は五字なり(中略)

日文字を名乗る妙法蓮華経某なりと存すべきなり」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2233頁)

 

「種智の薬とは一切種智の中道を薬と云ふ・此中道は中為経躰の法華の躰法華の名異義無く妙法蓮華経なり」(本是院 日叶 記百五十箇条』要富集2240頁)

 

 

※異流派でもやはり日蓮門下なのです。

「妙法蓮華経の五字」が、日蓮仏法の肝要である事を随所で述べておられます。

本是院日叶は、後に左京阿闍梨日教と名乗りますが、続きの記述があります。

 

 

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