続 日蓮仏法に於ける一大秘法 4

 

 

歴代僧侶の「妙法蓮華経の五字」の引用文書 4

 

「妙法蓮華経の五字」に連なる語句を紹介しています。

 

 

大石寺第九世法主 日有上人(生存期間 西暦14091482年)

 

「望み請ふ殊に天恩を蒙り爾前迹門の諸宗の謗法を対治し法華本門の本尊と戒壇と並に題目の五字とを信仰せらるれば広宣流布の金言宛も閻浮に満ち闘諍堅固の夷賊も聊か国を侵さじ」九世日有 記、第六国諌 日有の諌状』富要集8343頁)永享41432年 祖滅150

 

「御書には皆於此経宣示顕説とは一経を指すに非ず題目の五字なりと遊ばさるゝ故なり、仍法華経に於て文義意の三の読み様あり」(日有 談、日住 記『有師化儀抄』富要集165頁)文明151483)年 祖滅201

             

「日蓮聖人御書にも本門八品とあそばすと題目の五字とあそばすは同じ意なり、夫とは涌出品の時、地涌千界の涌現は五字の付属を受けて末法の今の時の衆生を利益せん為めなるが故に地涌の在す間は滅後なり(中略)

さて脱の方は本門正宗一品二半なり、夫れとは涌出品の半品寿量の一品、分別功徳品の半品合して一品二半なり是れは迹中本門の正宗なり、是れとは在世の機の所用なり、滅後の為には種の方の題目の五字なり、観心本尊抄に彼は一品二半、是れは題目の五字なりと遊す是れなり」日有 談、日住 記『有師化儀抄』富要集177頁)

 

「唯御書の意に任せ・妙法蓮華経の五字を以つて本尊となすべし・即御自筆の本尊なりと・開山上人の時代既に爾り」(日有 談、日住 記『有師化儀抄註解』富要集188頁)

 

「さて脱の方は本門正宗一品二半なり、夫れとは涌出品の半品寿量の一品分別功徳品の半品合して一品二半なり是は迹中の本門正宗なり是とは在世の機の所用なり、滅後の為には種の方題目五字なり、観心本尊抄に彼は一品二半・是は題目の五字なりとあそばす是なり」(有師化儀抄註解』富要集192頁)

 

「高祖所弘の本門は本迹に相対せざる・直に久遠の妙法蓮華経を受持する故に事なり・本門なり又我等衆生の為には下種なり、爰を以て本尊抄に云く・彼は脱・此は種・彼は一品二半・此は題目の五字なり、彼と云ふは在世なり此と云ふは滅後日蓮の本門なり」有師化儀抄註解』富要集193頁)

 

「宗祖は如来の一切の四句の要法は・皆法華経にて宣べ顕はされてあると経文に説かれし其の其の経文とは・一部・八巻・廿八品・六万九千等の文にあらずして・寿量品の妙法蓮華経の五字を指されたるなりと遊ばせり、此等に依つて法華経には文義意とて・文句と義理と意味との三段の読みかたあり」(有師化儀抄註解』富要集1183頁)

 

「当旨建立の絶待は事の絶待なり、其の故は本法の妙法蓮華経を師弟共に三毒強盛の凡夫にして・他に余念もなく受持する処には何れの麁か有りて麁妙相対すべきや」(日有 談、弁阿闍梨日達 聞書有師談諸聞書』富要集2151頁)文明41472)年夏 祖滅190

 

「惣じて我等凡夫名字初心にして余念の事も無く南無妙法蓮華経と受け持つ処の受持の一行・即一念三千の妙法蓮華経なり即身成仏なり、その故は釈尊の本因妙の時も妙法蓮華経の主と成りたまへば仏なり、師弟共に三毒強盛の凡夫にして又余念も無く受持すれば即ち釈尊の如く妙法蓮華経も別躰無し即信の一字・即身成仏なり妙法蓮華経なり」(日有 談、弁阿闍梨日達 聞書有師談諸聞書』富要集2153頁)

 

「本門には師弟相対して余事余念無く妙法を受け持つ処が相対妙にして其の当位を改めず受持の一行・十界互具・一念三千の妙法蓮華経なりと得る即事の絶待不思議の妙法蓮華経なり」日有 談、弁阿闍梨日達 聞書有師談諸聞書』富要集2154頁)

 

「人死去の時・葬所へ出づる時・家の内にて御経一座計りなり、僧達は輿の後陣なるべし・是れ即妙法蓮華経の御供なり死人即妙法蓮華経なり、又前陣も苦しからざるなり、何れも但妙法蓮華経の御供なればなり(中略)

御経を読む事は此れも妙法蓮華経の御通り有るべき道を・浄め奉り通し申す当位なりと仰せらるゝなり」(日有 談、筑前阿闍梨日格 聞書有師談諸聞書』富要集2158頁)長禄2(1458)年初春 祖滅176

 

 

※日有上人は、「楠板本尊」をあたかも大聖人直筆本尊かの如く模造した張本人として被疑されている一人ですが、妙法蓮華経の五字」こそが、大聖人の重要法門である事を決して忘れてはいない様です。

 

 

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