日蓮仏法に於ける一大秘法 14

 

 

大聖人の「妙法蓮華経の五字」の記述文書 12

(弘安元年「御義口伝巻上」後篇)

 

 

「妙法蓮華経の五字」「妙法の五字」「題目の五字」なる語句を含む大聖人の御文を年代順に紹介しています。

 

 

「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは有差を置くなり廿八品は有差別なり、妙法の五字は無差別なり」(御義口伝巻上729頁)弘安元年 57歳御作

 

「化とは色法なり城とは心法なり、此の色心の二法を無常と説くは権教の心なり法華経の意は無常を常住と説くなり化城即宝処なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心妙法と開くを化城即宝処と云うなり、十界皆化城・十界各各宝処なり化城は九界なり宝処は仏界なり、化城を去つて宝処に至ると云うは五百由旬の間なり此の五百由旬とは見思塵沙無明なり、此の煩悩の五百由旬を妙法の五字と開くを化城即宝処と云うなり、化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり念念の化城念念の宝処なり、我等が色心の二法を無常と説くは権教なり常住と説くは法華経なり無常と執する執情を滅するを即滅化城と云うなり」(御義口伝巻上732頁)

 

「山とは煩悩即菩提なり海とは生死即涅槃なり慧とは我等が吐く所の言語なり自在とは無障碍なり通王とは十界互具百界千如一念三千なり、又云く山とは迹門の意なり海とは本門の意なり慧とは妙法の五字なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は山海慧自在通王仏なり全く外に非ざるなり」(御義口伝巻上736頁)

 

「宝とは五陰なり塔とは和合なり五陰和合を以て宝塔と云うなり、此の五陰和合とは妙法の五字なりと見る是を見とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は見宝塔なり」(御義口伝巻上739頁)

 

「此の偈頌の如清凉池と譬如大風と燃大炬火とは三身なり、其の中に譬如大風とは題目の五字なり吹小樹枝とは折伏門なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」(御義口伝巻上742頁)

 

「法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり、則の一字は生仏不二なり上の能持の持は凡夫なり持つ体は妙法の五字なり仏身を持つと云うは一一文文皆金色仏体の故なり、さて仏身を持つとは我が身の外に仏無しと持つを云うなり、理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり」(御義口伝巻上742頁)

 

「五種の修行の読誦と受持との二行なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは読なり此の経を持つは持なり此経とは題目の五字なり」(御義口伝巻上743頁)

 

「当品(註:法華経方便品)は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す云云」(御義口伝巻上753頁)

 

 

※今回の「御義口伝」では、妙法の五字」「題目の五字」の記載が多いだけではなく、重要な法門・語句の記述も多いので、「巻上」「巻下」それぞれ2報、計4報とさせて頂きます。改めて題目・妙法の「五字」の意味の深さ・重要さを感じています。

 

 

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