御書に見る「成仏を約束された人々」14
妙一尼
生没年不詳、大聖人御在世当時の鎌倉に住む女性信徒、妙一女・辨殿尼御前・王日女と同一人物との説もあるが不明、六老僧の一人である日昭の縁者で、夫(不詳)は信仰に命をかけた大聖人の信者で、妙一尼も信仰の為に所領を没収されても大聖人への供養を怠らず、学識豊かで強盛な信者であった、と思われる。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には『若有聞法者無一不成仏』ととかれて候。」(妙一尼御前御消息1253頁)建治元年5月 54歳御作
通解:法華経を信じる人は冬の様なものです。冬は必ず春となります。いまだかって昔より聞いたことも見たこともありません。冬が春とならずに秋に戻るという事を。(同じ様に)未だかつて聞いた事がありません。法華経を信じる人が仏に成らずに凡夫のままでいる事を。法華経方便品には「もし法を聞く事ができた者は、一人として成仏しない者はいない」と説かれているのです。
※大聖人が、妙法を信受した人は全員成仏する、と約束されています。
「信心と申すは別にはこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く・子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり、しかのみならず正直捨方便・不受余経一偈の経文を女のかがみをすてざるが如く・男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給うべく候」(妙一尼御前御返事、信心本義事1255頁)弘安3年5月 59歳御作
通解:信心というのは、特別これといって難しいものではありません。妻が夫を愛おしく思う様に、夫が妻の為には命を捨てる様に、親が子を捨てない様に、子供が母親から離れない様に、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神(つまり御本尊)に信を入れて、南無妙法蓮華経と唱え奉る事を信心というのです。それだけではなく、法華経方便品の「正直に方便を捨てて(但だ無上道を説く)」又法華経譬喩品の「(合唱し頂受し、但ねがって、大乗経典を受持して)乃至、余経の一偈をも受けざる有らん‥」の経文を、ちょうど女の人が身から鏡を離さない様に、また男のが刀をいつも差している様に、瞬時も見放さないで護持し行動してください。
※日蓮仏法を信仰する本義を述べられています。
「其の後は一定法華経の即身成仏を御用い候らん、さなく候ては当世の人人の得意候・無得道の即身成仏なるべし不審なり、先日書きて進らせ候いし法門能く心を留めて御覧あるべし、其の上即身成仏と申す法門は世流布の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ、就中予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留む可きなり。」(妙一女御返事、事理成仏抄1260頁)弘安3年10月59歳御作
通解:その後はきっと法華経の即身成仏の法を用いておられると思います。もし、そうでないならば、今日、世間の人達が考えている無得道の即身成仏となってしまうでしょう。気がかりな事です。先日書いて指し上げたこの法門を、よくよく心に留めてご覧ください。その上即身成仏という法門は、世間で著名な学者は、皆、最も大事な法門であると心得ているところです。まして、我が門弟においては、世間の全ての事をさしおいて此の即身成仏の法門に心を留めるべきです。
※大聖人は、仏法における即身成仏(人間革命)の重要性を述べられています。
「さばかりの上代の人人だにも即身成仏には取り煩はせ給いしに、女人の身として度度此くの如く法門を尋ねさせ給う事は偏に只事にあらず、教主釈尊御身に入り替らせ給うにや・竜女が跡を継ぎ給うか・又憍曇弥女の二度来れるか、知らず御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし」妙一女御返事、事理成仏抄1262頁)
通解:この様な上代の人々ですら即身成仏の法門について、悩まれてきたのに、女性の身として度々この様に即身成仏の法門について尋ねられた事は、ひとえにただ事ではなく、おそらく教主釈尊があなたの身に入り替られたのでしょうか。それとも竜女が跡を継いで、女人成仏を証明される人か、あるいは釈尊の姨母憍曇弥女生まれ替わって来られたのでしょうか。いずれかは知りませんが、あなたの身はたちまちに、五障の雲が晴れて寂光の覚月を詠められるでしょう。
※大聖人は、妙一女が女人成仏を証明される人か、釈尊の姨母の生れ替りかと讃嘆され、常寂光土の月を眺める様な成仏の境涯を、胸中に築くに違いないと激励されています。