御書に見られる『衆生の成仏』17

 

 

「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候、譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし、仏と申す事も我等の心の内にをはします」(十字御書1491頁)

通解:さて、地獄と仏とは、どこに存在するのかと尋ねられたら、あるいは地の下という経文もあり、あるいは西方等という経もあります。しかしながら、詳細に探究してみると、私達の五尺の身の内に存在すると説かれています。そんな風かもしれないと思われる事は、私達の心の中に父を侮り、母を疎かにする人は、地獄がその人の心の中にあるということなのです。たとえば、蓮の種の中に花と実とが見られる様なものなのです。仏というのも私達の心の中におられるのです。

地獄と仏の存在場所地獄も仏も私達の五尺の身の内に存在する、と説かれている

 

 

「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う」(上野殿後家尼御返事1504頁)

通解:さて浄土といっても地獄といっても外にあるのではありません。ただ我等の胸中にあるのです。これを悟るのを仏といい、これに迷うのを凡夫と云うのです。

【衆生成仏の姿】浄土を我が胸中にあると覚るを仏とい、迷うを凡夫と云う

 

 

「悪積れば地獄となる、・善積れば仏となる・女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。法華経供養の功徳かさならば・あに竜女があとを・つがざらん」(南条殿女房御返事1547頁)

通解:悪行が積もれば地獄に堕ち、善行を積めば仏となります。女人は嫉妬が重なれば毒蛇となります。法華経供養の功徳が重ければ、竜女のあとを継いで成仏することは間違いありません。

【衆生成仏の可否】悪が積もれば地獄に堕ち、善を積めば仏となる

 

「日本国の男は提婆がごとく・女は竜女にあひにたり、逆順ともに成仏を期すべきなり・是れ提婆品の意なり。」(上野殿御返事1556頁)

通解:日本国の男は提婆達多の様であり、女は竜女に似ています。法華経の行者に順う者も、逆らう者も、順逆ともに成仏を期しえるというのが提婆達多品第十二の意なのです。

【成仏の対象者】法華経の行者に順う者も、逆らう者も、順逆ともに成仏を期しえる

 

 

「一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説くかかる故に不定なり、法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即仏なり、(中略)故に経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり。」(上野尼御前御返事1580頁)

通解:一切経の功徳は、先に善根を積んで後に仏になると説きます。この様なので成仏は定まっていません。法華経というのは、手に取ればその手が直ちに仏になり、口に唱えればその口がそのまま仏なのです。(中略)だから法華経に「若し法を聞く者がいるならば、一人として成仏しない者はいない」と説かれているのです。文の心は、この経を持つ人は百人が百人とも、千人が千人とも、一人も欠けずに仏に成るという文なのです。

【衆生成仏の可能性】妙法を信受する人は百人が百人とも、千人が千人とも、一人も欠けずに仏に成る

 

 

「末代の凡夫の身として法華経の一字・二字を信じまいらせ候へば十方の仏の御舌を持つ物ぞかし、いかなる過去の宿習にて・かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上・経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が・法華経計りをば用いまいらせず候いけれども・仏くやうの功徳莫大なりければ・謗法の罪に依りて貧賤の身とは生れて候へども・又此の経を信ずる人となれりと見へて候、此れをば天台の御釈に云く「人の地に倒れて還つて地より起つが如し」等云云、地にたうれたる人は・かへりて地よりをく、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・たうれ候へども・かへりて法華経の御手にかかりて仏になると・ことわられて候。」(法華証明抄1586頁)

通解:末代の凡夫の身として法華経の一字二字でも信じて行くならば十方の仏の御舌を持つ者といえるのです。どの様な過去の宿習でこの様な身に生まれたのでしょうかと、喜んで経文を拝するに、過去に十万億の仏にお会いし供養された者が、法華経だけを用い無かったが、仏に供養した功徳が莫大であったので、謗法の罪によって貧しく卑しい身として生まれたにもかかわらず、またこの法華経を信ずる人となったと説かれています。この事を天台大師の御釈に「人が地に倒れて還って地より起つ様なものである」等とあります。地に倒れた人は反対に地によって起きるのです。法華経を誹謗した人は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道並びに人界・天界の地には倒れても、還って法華経の御手にかかって仏に成る、と道理を明かされているのです。

【衆生皆成仏の法門】大聖人の仏法(妙法)を誹謗した人でも、結局は大聖人の仏法に縁をして仏に成る

 

 

人もすすめぬに心中より信じまいらせて・上下万人にあるいは・いさめ或はをどし候いつるに・ついに捨つる心なくて候へば・すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ」(法華証明抄1587頁)

通解だれも法華経の信仰を勧めないのに心中から信仰され、上下万人から法華経の信仰をやめる様に、あるいは諌められ、或は脅かされながらも結局捨てる心が無くなっておられ、もはや成仏しそうに見えたので、天魔・外道が病をつけて脅かそうとしているのでしょう。命は限りがある事なので、少しも驚いてはいけません。

※【衆生成仏への障害】成仏に近づくと天魔・外道が成仏させない様に脅すが、驚くなかれ

 

御書「法華証明抄」で取り敢えず了

 

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