御書に見られる「衆生の成仏」8

 

 

「法華の心を信ずるは種なり諸法実相の内証に入れば仏果を成ずるなり」(御義口伝上「薬草喩品五箇の大事」第一728頁)

通解:法華の心・御本尊を信ずる事が仏種を植えた事になり、諸法実相の内証、南無妙法蓮華経の悟りに入れば、成仏の境涯となるのです。

【衆生成仏への道程】御本尊を信受し南無妙法蓮華経の内証に入(「一切法是れ仏法なり」と確信し一切の活動をやり遂げ)れば、絶対の幸福境涯(成仏)に至る

 

 

「記とは南無妙法蓮華経なり授とは日本国の一切衆生なり不信の者には授けざるなり又之を受けざるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり」(御義口伝上「授記品四箇の大事」第一730頁)

通解:記とは南無妙法蓮華経の事であり、授とは日本国の一切衆生に授ける事なのです。 但し、不信の者には授けないし、不信の者は、この南無妙法蓮華経の記を受けないでしょう。 今、日蓮大聖人及びその門下は、南無妙法蓮華経の記を受けるのです。

【衆生成仏への約束】日蓮門下は、南無妙法蓮華経の記別を受ける、と大聖人御自身が確約されている

 

 

「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し」(御義口伝上「化城喩品七箇の大事」第七734頁)

通解:南無妙法蓮華経と唱え奉る日蓮大聖人の門下は、一同に皆共に宝のある処、すなわち、成仏という最高の境涯に至る事ができるのです。とくに、「共」の一字は、日蓮大聖人と共にいる、大 聖人を信ずる時は、成仏する事ができるのです。

【衆生成仏への条件】日蓮仏法を信じ学する衆生は皆宝処に至る

 

 

「法とは諸法なり師とは諸法が直ちに師と成るなり森羅三千の諸法が直ちに師と成り弟子となるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」(御義口伝上「法師品十六箇の大事」第一736頁)

通解:「法」とは諸法 あらゆる現象をいうのです。「師」とは諸法が直ちに師ともなるのです。すなわち、宇宙のあらゆる現象が、一念三千の当体、つまり、御本尊と現われて、それが直ちに師となるのです。森羅三千の諸法すなわち南無妙法蓮華経が、直ちに師匠となり、我々はその弟子となり、成仏できるのです。いま、南無妙法蓮華経と唱え奉る日蓮大聖人およびその門下は、法師の中の大法師、つまり、指導者の中の大指導者なのです。

【衆生成仏の資格】妙法を唱える日蓮門下こそ、法師の中の大法師である

 

 

「法華経行者は男女共に如来なり煩悩即菩提生死即涅槃なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり」(御義口伝上「法師品十六箇の大事」第四737頁)

通解:「法華経の行者」すなわち、南無妙法蓮華経を唱え折伏を行ずる者は、男女ともに如来です。それは、煩悩即菩提、生死即涅槃の生活を送るからなのです。いま南無妙法蓮華経を唱え奉る日蓮大聖人およびその門下は、「如来と共に宿する」者なのです。

【衆生成仏は男女平等】唱題する日蓮門下は法華経行者であり、御本尊根本の生活は如来共宿の者であり、男女共に如来なのです

 

 

「不聞とは謗法なり成仏の智を遠ざかるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏智開悟の者にして成仏の近き故なり。」(御義口伝上「法師品十六箇の大事」第九738頁)

通解:「不聞」とは、法華経すなわち南無妙法蓮華経の教えを聞かないが故に謗法であり、成仏の境涯から非常に遠ざかる事になるのです。いま南無妙法蓮華経を唱える日蓮大聖人およびその門下は、仏界を湧現(仏智開悟の者に)して、現実生活の上に成仏の証拠をあらわすのです。

【衆生成仏の資格】唱題する日蓮門下は、仏智開悟の者にして成仏直近の人なり

 

御書「御義口伝上『法師品十六箇の大事』」まで 

 

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