大聖人の「本尊」記述の御書 ⑭

 

 

「発迹顕本」後の他の本尊記述御書 

 

 

草木成仏口決   文永9220日 51歳御作 与最蓮房日浄 弘安2年の7年前

草木成仏は非情の成仏であり、法華経では有情・非情共に成仏する事が明かされているとしている。

 

「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり、天台・妙楽・伝教・内にはかがみさせ給へどもひろめ給はず、一色一香とののしり惑耳驚心とささやき給いて・妙法蓮華と云うべきを円頓止観と・かへさせ給いき、されば草木成仏は死人の成仏なり、此等の法門は知る人すくなきなり、所詮・妙法蓮華をしらざる故に迷うところの法門なり、敢て忘失する事なかれ」(草木成仏口決1339頁)

 

通解:一念三千法門を振りすすいで立てたのが大曼荼羅なのです。当世の習いそこないの学者等が、夢にも知らない法門なのです。天台・妙楽・伝教も内心ではこの事を知っていたのですが外へは弘められず、ただ「一色一香も中道にあらざるものはない」とか「無情に仏性があると聞いて、耳に惑い心に響くのである」などといって、南無妙法蓮華経というべきを円頓止観と言葉を変えて弘められたのです。だから草木成仏とは死人の成仏をいうのです。これらの甚深の法門は知る人が少ないのです。所詮、妙法華経の元意を知らなければ迷う法門なのです。特に忘れない様にしなさい。

 

 

諸法実相抄  文永10552歳御作 与最蓮房日浄  弘安2年の6年前

方便品の「諸法実相」についての質問に、実相とは妙法蓮華経の異名、凡夫を本仏とし釈迦・多宝を迹仏と定義する等、甚深の義を説かれている。

 

「此文には日蓮が大事の法門ども・かきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給へ・意得させ給うべし、一閻浮提第一の本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし」(諸法実相抄1361頁)

 

通解:この手紙には日蓮が大事な法門を書いておきました。よくよく読んで理解し、肝に銘じていきなさい。一閻浮提第一の御本尊を信じていきなさい。十分に注意し信心を強くして釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏の三仏の守護を受けていきなさい。

 

 

善無畏抄  建治元年 54歳御作、身延で書かれたが対告衆は女性と思われるが不明、

真言宗開祖の善無畏が法華経を捨て大日経を第一と立てた事は誤りとし、女人成仏は法華経以外に無いと強調されている。

 

「今の世に浄土宗禅宗なんど申す宗宗は天台宗にをとされし真言華厳等に及ぶ可からず、依経既に楞伽経観経等なり此等の経経は仏の出世の本意にも非ず一時一会の小経なり一代聖教を判ずるに及ばず、而も彼の経経を依経として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・雑行正行に分ち教外別伝なむど・ののしる、譬えば民が王をしえたげ小河の大海を納むるが如し、かかる謗法の人師どもを信じて後生を願う人人は無間地獄脱る可きや、然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。」(善無畏抄1235

 

通解:現在の浄土宗、禅宗などという宗派は、天台宗によって破折された真言宗華厳宗等には及ばないのです。依経はすでに楞伽経、観無量寿経であり、これらの経々は、仏の出世の本懐ではなく、その時、その場に応じて説かれた小経なのです。一代聖教を判別するまでもありません。それにもかかわらずそれらの経々によって、一代聖教を聖道・浄土・難行・易行・雑行・正行に分け、また教外別伝などと言って罵っているのです。これは例えば、民が王を虐げ、小さな河に大海を納める様なものなのです。この様な謗法の人達を信じて後生を願う人々は、無間地獄をどうして免れることができるでしょうか。
 故に当世の愚者であるあなたは、仏として釈迦牟尼仏を本尊と定めたのですから、自然に不孝の罪を脱して法華経を信じたので、期せずして謗法の科を免れる事ができたのです。

 

 

報恩抄  建治27月 55歳御作 

身延から安房清澄寺の浄顕房・義浄房に与えられた書で五大部御書の一つ。

大聖人の旧師・道善房の追善供養の為に送られ、真実の報恩について説かれている。

 

「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(報恩抄328頁)

 

通解:問うて言います。天台大師や伝教大師の、いまだ弘通していない正法があるのでしょうか。答えて言います。あります。求めて言います。それは、如何なるものでしょうか。答えて言います。それには、三つあります。これを末法の世の為に、仏が留めおかれたものです。それは迦葉や阿難等、馬鳴や竜樹等、天台や伝教等の弘通されなかったところの正法なのです。求めて言います。その形貌は、如何なるものでしょうか。
答えて言います。一つには日本乃至、一閻浮提の人々が一同に本門の教主釈尊を本尊となすべき(本門の本尊)なのです。いわゆる、宝塔の内の釈迦多宝、その外の諸仏、ならびに上行等の四菩薩は脇士となるべきです。二つには本門の戒壇です。三つには日本乃至中国・インド・全世界において、人ごとに有智無智にかかわりなく、一同に、他事をすてて南無妙法蓮華経と唱えるべき(本門の題目)なのです。この事は、いまだ弘まっていなくて、一閻浮提の内に、釈迦仏の入滅後、二千二百二十五年の間、一人も唱えなかったのです。ただ日蓮一人が、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と、声も惜しまず唱えているのです。

 

 

※此処でも、大聖人の「本門の教主釈尊を本尊」等との記述はありますが、「戒壇の本尊」や「楠板本尊」を想像させる記述は、一切見出せないのです。

 

 

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