本尊書写に関する日興上人の言



 近代法主及び日蓮正宗・宗門では、歴代法主の書写本尊は、弘安二年に大聖人が御図顕されたとされる「楠板本尊」の書写だと主張しています。

然しながら、日興上人の御文からは、「楠板本尊」の存在を想像させる語句は見出せず、仏滅年紀の記載は「楠板本尊」の「仏滅後二千二百二十余年」ではなく、「仏滅度後二千二百三十余年」を推奨されているのは明らかです。 

従って、法主の書写本尊は「楠板本尊(戒壇本尊)」の書写ではなく、数多ある既存の大聖人御自筆の御本尊である事は明確であり、日蓮の民衆救済の秘儀は歴代の法主の書写本尊にもあるという事を明示しています。

 


【富士一跡門徒存知の事】の【本尊の事四箇条】より
「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり。(中略)日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」(御書1606頁、富要集155-6頁)

 

通解:日興が言います。大聖人が立てられた法門においては、全く絵像や木像の仏・菩薩を本尊とは致しません。ただ御書の本意通りに妙法蓮華経の五字を本尊とすべきであり、すなわち大聖人御自筆の御本尊がこれなのです(中略)日興の弟子においては、在家・出家を問わず、あるいは命を捨てたり、あるいは傷を受けたり、もしくは現在居る場所を追放されたりした信心ある弟子門下に対して、恐れ多くも日興自身が御本尊を書写し奉りこれを授与するのです。

 


【御本尊七箇相承】
「又本尊書写の事予が顕はし奉るが如くなるべし、若し日蓮御判と書かずんば天神地神もよも用ひ給はざらん、上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・苦悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか。
一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。」(富要集132頁)

 

通解:また本尊書写の事は、私が書き顕わして差し上げた様にしてください。もし、日蓮御判と書かなければ諸天善神も用いられないでしょう。上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間に『苦悩乱者頭破七分・有供養者福過十号』と書いてください。経中の明文等の記載について心に任かしても良いでしょう。

『仏滅度後』と書きなさいとはどう云う事なのでしょうか、師が云うには「仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内未曾有の大曼陀羅なり」と、あるままに書写されることこそ御本尊書写なのです。これを略される事は大僻見(偏った見解)であり不相伝の極みなのです。

 


【本尊三度相伝】
「又云仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、(中略)今此の本尊を紙上に顕はし之を拝する故に本門なり」(富要集140-1頁)

 

通解:また大聖人が言います。仏滅後二千二百三十余年の間に一閻浮提の内未だ曽てない大漫荼羅なのです。(中略)今此の本尊を紙上に顕わして之を拝するので本門というのです。


上記の御文を後世の作と主張される方もおられますが、それでも尚、日興上人仰せの書写すべき御本尊は、大聖人直造と主張される「楠板本尊」の御相貌と一致しないのです。

宗門は、「楠板本尊」の御内証の書写だと言い逃れしていますが、「既存の大聖人御本尊」の御内証と違いはなく、同じ筈ではないでしょうか。

 

 

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