日霑上人の「祖文纂要」の紹介

 

要点:両山問答の一方の当事者であり堀日亨上人の師匠である、日蓮正宗52世日霑上人が、著作された「祖文纂要」にも「戒壇本尊」の存在を証明する様な記述は一切見当たりません。

 

祖文纂要(日霑上人著、日亨上人改訂、雪山書房、大正15年発行、全235頁)

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/987227/1


上記の書は、日蓮正宗教学叢書第三編として編纂された書物ですが、巻頭の「刊行の意趣」では、


「此から日蓮正宗教學叢書を刊行することになりました、内容は宗史と宗義と行體と釋義と訓話とで、何れも數篇を出だす考へです、筆は多分は私は執りますが、幾分かは他師に高著を仰いで本書を荘嚴ることにします、此企ては畢竟私共の宗門に刊行書の少きを補うて、日蓮大聖人の御正義を成るべく汎く弘めんとの念願であります、一部でも多く買ってくださる事と、能く讀んで信行の糧としてくださる事と、善悪に拘らず遠慮なき批判をしてくださる事とを望みます、此れをば私の力とし励みとして大願を成就したいと思ひます。 大正十一年七月日  雪山書房主人」


とあり、大聖人の御書の御文証を引用して、日蓮仏法の教義が下記の章毎に纏められています。

 佛像造立章、世尊三徳章、權實相對章、女人成佛章、本迹相對章、第三法門章
 四重浅深章、法華極理章、三大秘法章、八品依用章、一品二半章、壽量題目章
 事理三千章、下種圓戒章、下種本尊章、下種三徳章、無作三身章、自我偈功徳章
 二品讀誦章、一經不讀章、一部讀誦章、本迹傍正章、迹門開會章、師子身虫章
 可畏謗法章、摂折二門章、下種本因章 (全27章)

そして、この最終章の下種本因章の最終文章には、


「文に凡夫の時とは名字即にして位妙なり我身地水火風空とは境妙なり之れを知るとは智妙なり即座開悟と云ふ豈に修行なからんや是れ行妙なり、此の四妙具足する是れを種家の本因妙の相と云ふ是れ則ち我が蓮宗の極致なり此の他本因妙抄血脈抄等の文義之れを略す。(235頁)」


とあり、更にあとがきには、


「祖文纂要 終

明治十三年一月中筑後の國御井郡白山村霑妙庵に於て焉を抜萃し同庵主佐野廣謙及信徒の競望に因り印刷の屬する者は蓋し初學をして便ならしめん為めのみ敢て他に(?、該当文字探せず)賣するを許さず   加州金澤天神町 妙喜寺住職 妙道日霑 誌」


とあります。 


大聖人の文章からの解説だからかもしれませんが、全般を通して「本門の本尊」や「大曼荼羅」等の表現は在るものの、当然ながら「弘安二年十月十二日」や「本門戒壇の大御本尊」なる語句は見当たりません。
日蓮正宗の最も重要な法門であるべきなのに、「本門の戒壇」に繋がる「本門寺の戒壇」はおろか「本門寺に懸け奉るべき本尊」の説明が全く見当たらないのは、どういう事なのでしょうか。


結局、近年に大聖人の出世の本懐とする「本門の戒壇の本尊」が、本当は重要な法門では無かったという一つの証拠ではないでしょうか。




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