御書に述べられている「明鏡」

 

 

☆己心は本尊にして明鏡なり

 

止観の五に云く智とは譬に因るに斯の意徴し有りと。御義口伝に云く此の文を以て鏡像円融の三諦の事を伝うるなり、惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り所詮鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し、又云く鏡に於て五鏡之れ有り妙の鏡には法界の不思議を浮べ・法の鏡には法界の体を浮べ・蓮の鏡には法界の果を浮べ・華の鏡には法界の因を浮べ・経の鏡には万法の言語を浮べたり、又云く妙の鏡には華厳を浮べ・法の鏡には阿含を浮べ・蓮の鏡には方等を浮べ・華の鏡には般若を浮べ・経の鏡には法華を浮ぶるなり、順逆次第して意得可きなり、我等衆生の五体五輪妙法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり、信謗の浮び様能く能く之を案ず可し自浮自影の鏡とは南無妙法蓮華経是なり云云。」(御義口伝巻上724頁)弘安元年正月

 

通解:天台大師は、摩訶止観の第五に「智とは譬に因るに斯の意徴し有り…智とは、譬喩によってその真意を明らかにすることをいう」と述べられています。 御義口伝にはこの文に依って鏡像円融の三諦を伝えるのです、と仰せです。すなわち摩訶止観に「譬へば明鏡の如し、明は即空に喩へ、像は即仮に喩へ、鏡は即中に喩ふ、合せず散せず、合散宛然なり」とある様に、鏡像をもって円融の三諦が説明されているのです。 円融の三諦とは、爾前でバラバラに説いた三諦ではなく、法華で、空仮中の三諦は相即して円融無礙であり、一つであると説かれた三諦なのです。
 総じて鏡像の譬とは、自らの姿を映す鏡の事ですが、此の鏡とは、一心の事なのです。総じて鏡については、重重の相伝があり、結局、鏡の能力・徳性というのは、全てのものの姿を映すところにあります。 妙法蓮華経の五字は、全ての姿を映して、一つの現象をも映し残すことはないのです。
 鏡には妙・法・蓮・華・経の五つの鏡があり、妙の鏡には法界の不思議を映し、法の鏡には法界の体を映し、蓮の鏡には法界の果を映し、華の鏡には法界の因を映し、経の鏡には万法の言語を映しのです。

また妙の鏡には華厳を映し、法の鏡には阿含を映し、蓮の鏡には法等を映し、華の鏡には般若を映し、経の鏡には法華を映すのです。 妙法蓮華経は、華厳、阿含、法等、般若のいずれにも説かれず、法華経に来て初めて説かれるのです。これは説法の順序に従って相待妙で判じたのですが、逆に絶待妙から八万法蔵を判じた時に、華厳も、阿含も、法等も、般若も、ことごとく妙法蓮華経の一法に収まるのです。 我らの衆生の五体五輪、即ちこの身体が妙法蓮華経の当体であり、この我々の衆生の生命を映し出す鏡こそ、宝塔品において釈尊が己身に描き、大聖人がその儀式を借りて顕された御本尊なのです。
 信心強盛な場合、謗法した場合、どういう姿が映しだされるかは、よく考えるべきで、自浮自影の鏡とは、南無妙法蓮華経の御本尊の事なのです。

 

 

「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり、又は我が一心の明鏡なり、所詮瑠璃と明鏡との二の譬を説かれたり身根清浄の下なり、色心不二なれば何れも清浄の徳分なり浄とは不浄に対して浄と云うなり明とは無明に対して明と説くなり、鏡とは一心なり浄は仮諦・明は空諦・鏡は中道なり悉見諸色像の悉は十界なり、所詮 浄明鏡とは色心の二法、妙法蓮華経の体なり浄明鏡とは信心なり云云、又三千大千世界を知見するとは三世間の事なり」(御義口伝巻下763頁)

 

通解:今、日蓮大聖人およびその門下として、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、明鏡にあらゆる物の像を浮かべる様に、一切の事象を明らかに知見していくのです。 この明鏡とは法華経であり、別しては宝塔品即ち御本尊なのです。 また御本尊を信ずる者の一心の明鏡なのです。 つまり、法華経を持つ人の身根清浄が説かれたその下に、瑠璃と明鏡との二つの譬えが示されています。 瑠璃の譬えは、色法に約し、明鏡の譬えは心法に約すのであるが、色心不二であるから、いずれも、法華経を持つ人の生命の清浄をあらわしているのです。 浄明鏡の浄とは色法であり、不浄に対して浄というのです。 明とは心法であり、無明に対して明と説くのです。 鏡とは、その法華経を持つ人の信心の一心の事なのです。 これを、さらに三諦に配するならば、浄は仮諦、明は空諦、鏡は中道なのです。 「悉く諸の色像を見る」という「悉く」とは十界なのです。 (十界の生命を悉く映し出して見ることができるという意味なのです。) 所詮、浄明鏡とは、色心の二法は、妙法蓮華経の体(すなわち日蓮大聖人の御生命である人法一箇の御本尊)なのです。 (信心に約すと)浄明鏡とは信心なのです。 また、三千大千世界を知見するとは、五陰・衆生・国土の三世間の事なのです。


 


にほんブログ村