楠板本尊に関するこれまでの記事 3

 

 

6.

大聖人御在世時の有力在家信徒 | 明るい未来へ弟子として生きる (ameblo.jp)

 

「楠板本尊」の「本門戒壇の願主」が、何故、此の有力在家信徒の中から現れなかったのか。富木胤継の義父、南条七郎五郎の義祖父として、血縁少しはあれども、社会的地位、信仰心が全く知られていない「勢原弥四郎国重」なる人物を、どうして、「本門戒壇の願主」に祭り上げなければならなかったのか。

此の不可解な事実が、「楠板本尊」が弘安2年ではなく、後世模作である証拠なのです。

 

 

7.

「弥四郎国重」なる人物を探る 1 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

8.

「弥四郎国重」なる人物を探る 2 | 明るい未来へ弟子として生きる (ameblo.jp)

 

9.

「弥四郎国重」なる人物を探る 3 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

「弥四郎国重」なる人物が波木井(南部)実長の嫡男であったり、農民であったり、日蓮大聖人の己心の人物であったり、と定かではありません。ところが、「日蓮門下系図」(興風叢書8)により、弥四郎国重は実在の人物である、と確認できたのですが、御書に一切登場せず、系図から官職名も明らかでない高齢の人物(既に死去しているかも知れない)の様です。彼が本門戒壇の願主として、永く名を残す事に無理があると、私は推考します。

 

 

10.

干支併記の大聖人御真筆御文 1 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

11.

干支併記の大聖人御真筆御文 2 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

12.

干支併記の大聖人御真筆御文 3 | 明るい未来へ弟子として生きる (ameblo.jp)

 

大聖人の重要御書の殆どに著作年月に「干支併記」されています。従って、大聖人にとっては重要であるべき「干支併記」の無い年月日記載だけの「本門戒壇の大御本尊と称する楠板本尊」は、大聖人御真筆とは考えられないのです。

 

 

13.

弘安2年10月前後の御書 | 明るい未来へ弟子として生きる (ameblo.jp)

 

弘安2年5月から弘安3年12月まで1年7か月間で、計52編の御書が遺されていますが、「楠板本尊」に関する或いは想像させる記述は一切ありません。

 

 

 

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