「日蓮大聖人の出世の本懐」の本意と捉え方 2

 

大石寺歴代僧侶の捉え方 1

 

遺されている古文書から「日蓮大聖人の出世の本懐」が記載されている御文を調査し、可能な限り多数、ご紹介していきます。

 

 

開山 日興上人の捉え方

 

「日蓮聖人御出世の本懐、南無妙法蓮華経の教主・久遠実成の如来の画像は、一・二人書き奉り候えども、いまだ木像をば誰も造り奉らず候に、入道殿御微力をもって形のごとく造立し奉らんと思しめし立ち候に、御用途も候わざるに、「大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに、それほどの仏を作らせ給え」と教訓し進らせ給いて、固くその旨を御存知候を、日興が申すようは、「せめて故聖人安置の仏にて候わばさも候いなん。それも、その仏は上行等の脇士も無く、始成の仏にて候いき。その上、それは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしくわたらせ給い候べき。御力契い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。いかに、聖人御出世の本懐、南無妙法蓮華経の教主の木像を最前には破らせ給うべき」と強いて申して候いしを、軽しめたりと思しめしけるやらん。」(原殿御返事 新2170頁・編年1733頁)正応元(1288)年作 日興43歳 祖滅後6年

現代語訳:日蓮大聖人の御出世の本懐である南無妙法蓮華経の教主釈尊、久遠実成の如来の画像を、一人・二人が書かれましたが、いまだに釈尊の木造は、誰も造ってはいないので、波木井入道殿が「微力ながら釈尊の木像をその形の通りに造立したい」と思い立たれたのです。使い道も無いのに、民部日向が「大国阿闍梨日朗が奪い去った大聖人随身の一体仏の代わりに、それと同様の一体仏を造られたら良いでしょう」と教えたので、波木井実長は固くその気になってしまったのです。それに対し日興は「せめて亡き大聖人が安置されていた仏であるならまだ良いでしょう、けれど、その仏は上行菩薩等の脇士も無く、始成正覚の仏にすぎないのです。その上、それ(立像仏)は大国阿闍梨日朗が持ち去ってしまっています。何のいわれがあって、それを写した始成正覚・無常の仏像が欲しいと思われるのでしょうか。本来あるべき仏像を造立することが、あなたの力では適わないのなら、御子孫の中で造立する人が出て来られるまでは大聖人が文字にしたためられた御本尊を御安置すべきです。どうして、大聖人御出世の本懐の南無妙法蓮華経の教主の木像を一番先に破ろうとするのでしょうか」と強く申し上げたのを「自分を軽んじている」と思われたのでしょう。

この御文で、日興上人が「大聖人の出世の本懐」をどの様に捉えていたのか、明確ではありませんが、波木井氏や日向上人の「始成正覚の木像仏の造立」を柔らかく諫めています。それでも謗法が止まなかった為に、結局、身延離山となったのです。

 

 

「日興云わく、(中略)つらつら聖人出世の本懐を尋ぬれば、源、権実已過の化導を改め、上行所伝の乗・戒を弘めんがためなり。図するところの本尊は、また正像二千の間、一閻浮提の内、未曽有の大漫荼羅なり。今に当たっては、迹化の教主既に益無し、いわんや哆々婆和の拙仏をや。」(日興上人閲、日順上人記『五人所破抄』新2190頁・全1614頁、富要集2巻5頁)嘉暦3(1328)年作 日順34歳 祖滅後46年

現代語訳:日興が言います。(中略)よくよく大聖人の出世の御本懐を考えれば、過去の権実二教の化導を改め、上行菩薩として付嘱を受けた教えと妙戒を弘通される為だったのです。御図顕された御本尊は、また、正法・像法二千の間・世界中にいまだかつて現れたことのない大漫荼羅です。末法今時においては、法華経迹門の教主である釈尊はすでに利益が無いのですから、まして小乗教の応身仏に利益がある筈が無いのです。

日興上人が捉えた「大聖人の出世の本懐」とは、「法華経内の上行菩薩が付属を受けた『妙法』を弘通させる事」と認識されており、大聖人初発の「南無妙法蓮華経の文字曼荼羅」の御図顕が、その手段である、と考えているようです。

 

 

4世日道上人の捉え方

 

「右天竺には梵字を以て音信を通ず、震旦には漢字を以つて語を伝う、日本には和名を以て心諸を述ぶ、是則天然法爾の道理、世界悉檀の風俗也、然に大聖人出世の本懐を記し給ふに和名を以て之を注す処に、門徒の中に滅後に及び或は漢字に改め或いは和名をせうす、頗る以て愚暗の甚きなり、所以は何んとなれば悉檀赴機の化儀利益衆生の方便無学の俗女、愚痴下劣の者之を知るべからず、是を読むべからず、和名に於ては賢愚倶知の上下同じくこれを読む、下機を本とす上行菩薩の御本懐は由緒あるかな。」(日道上人記『三師御伝土代』富要集5巻11頁)元弘2・元徳4(1332)年作 日道49歳  祖滅後50年

現代語訳:右インドでは梵字を用いて音信を通わせています。震旦(中国のこと・古代インド人が用いた呼び名)では漢字を用いて言語を伝達します。日本は和名を以て心諸を表現します。これは天然法爾の道理であり、世界悉檀の風俗なのです。ところで大聖人の出世の本懐を記録するのに和名(かな)を用いて之を補う処に、門徒の中には、大聖人の滅後になって漢字に改めたり和名を消去したりと、とても愚暗(暗愚とも、分別や正しい判断ができない状態)が甚いのです。その理由が何かと言えば、悉檀赴機(仏が民衆の素質や能力【=機】を見極め、それに相応しい教え【=悉檀】を説き導くこと)による化儀の利益や衆生の方便は、無学の俗女、愚痴下劣の者が、これを知る必要も無く、これを読む必要も無いとしているからです。和名(にする事)については、賢人・愚人も共に知り、上機根の人・下機根の人も同様にこれを読む事になります。下機根の人を根本対象とすれば、上行菩薩の御本懐が正しい筋道であったのかなと思います。

日道上人は、下機根(一般庶民)の仏法理解による功徳が根本と認識されており、「大聖人の御本懐=上行菩薩の御本懐」と理解されているようです。

 

 

◎今回の御文で、日興上人、日道上人は共に、「日蓮大聖人の出世の本懐」の内容を常識的範囲で把握されておられたと判断しました。この時代では、まだ「戒壇本尊」と称される「楠板本尊」の存在は、認められていないのです。