ちょっとした空白時間にとりだめした映画の中から
『華麗なるギャッツビー』をみました。

ロバートレッドフォードの主演のものです。

フランシスフォードコッポラの演出と当時の主力を
尽くしたロバートレッドフォード絶頂であり、時代も
景気の良かったころの夢も希望もあふれたアメリカが
さらに夢も希望のあった当時を描いた映画です。

なのに、今見るとなんとも貧弱に豪華さのかけらも
力強さも主役の力強さもあまり感じません。

ディカプリオの謎の男で、今一番力があり、人気も
人も集める男といったカリスマ性とその謎が少しづつ
明かされるその演技力と富豪トムと対峙して地が覗く瞬間
とか名場面が対比してみれてどちらがどういいかというのが
よくわかりました。

総じてディカプリオの方がよいと思いますが、それが
ミアファローの魅力とか賞味期限とかカルティエの宝石とか
現代映像の前ではたいしたものではないというのが残念な
ような寂しいような感じです。

この映画の魅力がおとぎ話のような成功と恋のはなしであり、
アメリカ社会の富と力と格差の話でもあり、真実を見抜く目の
話の様でもあります。

それが距離感というニューヨークとロングアイランドの中間には
眼鏡の看板があり、真実を見通すというロゴか象徴的に語られ
登場人物がただの看板よと語るあたりに物語の真実がにじみます。

全体的にディカプリオの方がよいものの、ギャッビー死後の場面
ではレッドフォードの方がよいと思いました。

ディカプリオの方は全体的に過去を暴き立てたり、ギャツビーの
暗黒面を強く描きすぎていてそのための早すぎる死を迎えたと
いう決着なのに対して、死後の父親が出てくるレッドフォード版
では成功して恋もあこがれもつかんだという孤独な死でありながら
それを見ていてくれた友がいたという描き方になっていて見るものを
安心させ多くの見る人の側に立った書き方になっていると思います。

今なお広がる格差とひずみに思い致す時間となりました。