昨日NHKのドラマひらやすみを見終えました。

釣り堀のアルバイトで生計を立てる元役者が友人のおばあさんから遺贈された阿佐ヶ谷の平屋に住みながら人の交流をその暮らしぶりから描いていくというなにもたした事件も起きないドラマです。

そんな暮らしぶりがなぜか愛おしくほのぼのとしていつまでも見ていたいような気持ちにさせます。

まずは家を遺贈されたおばあさんとの交流ですが元不動産屋からするとまず問題なく登記とかしてちゃんと手続きして法的にも問題なく住めることになっているのかということが気になります。遺贈とならば土地や建物が小さいとはいえ数百万の贈与税が生じるでしょう。

世間知らずの元役者に法的知識や他から文句の出ない処理が可能か。

法的に問題がなくともおばあさんと青年という組み合わせで詐欺とかやっかみが立ち上がりまともに住んで行けるのかという想念が浮かびます。

そんな心配を他所にさらに従兄弟の未成年の女性が美大に通うために同居するという危うい関係性が加わります。

しかし、彼の勤める釣り堀とは金魚を釣る小さなもので周りにはマンションが立ち並ぶ都会の風景のなか、孤独なお年寄りの常連やアベック、子供達、親子連れと結構賑わってます。

そして一際目を引いたのは阿佐ヶ谷商店街の七夕祭りです。

近年どこでも七夕祭りは衰退の一途をたどりかつては市長賞とか市を挙げた祭りだった秩父でも今は飾りを出す家も少ないという状況なのに阿佐谷は企業や商店街の各事業主の手作りで自主的な取り組みが息ずいていてその暖かみが伝わります。

面白いのは主人公の元役者はその役者道が頓挫したそもそもが好みのタイプの女性を前にするとどぎまぎして固まってしまうという致命的な欠点があり役者を諦めるのですが、釣り堀でであったタイプなのに舞い上がらない女性との遭遇ということでこれが運命の出会いでマドンナなのかと思わせますが、阿佐ヶ谷のあちこちで遭遇するもタイミング的には悪い状況でばかり顔を合わせよい関係には発展しそうもないのです。

その女性は地元不動産会社に勤めタワーマンションに独り暮らしという対照的な暮らしぶりです。

このドラマで阿佐ヶ谷が都会のオワシスみたいな人の生活が息づく町なんだなあというのが伝わってくるのです。

そういえば村上春樹の新作夏帆も実家を出て一人住まいを始めるのは武蔵境の平屋でした。

都内の有名商店街が外国人に蹂躙され無惨な姿に変わり果てたのも見たばかりです。

私のお気に入りの谷中は更地や取り壊しの物件ばかりで町の表記は英語だらけでかつての下町情緒や地域密着の商店街の姿もなく猫さえ姿を消したところになっていました。

大きなターミナル駅はどこでも家電量販店やファストファッションといったどこにでもあるものに変わり果てかつての魅力を失うばかりです。

この間訪れた吉祥寺では、かつてはライブハウスが数多くあり、青春ドラマの舞台にもなった地なのですが、今ではジブリ美術館ができたり世界から訪れる観光地になり下がり、井の頭公園は藻が繁殖し、清流と湧水の武蔵野の自然の面影もなくと私の記憶の地はやさぐれ姿を変えています。

それなのに阿佐谷はなぜかそんなものから取り残された最後の都会のオワシスのようにこのドラマから感じさせ人の温もりや人の生活がある商店街が守られているとこのドラマからは感じさせるのです。

ドラマを見終わり、アマネの法的立場とおばあさんの遺言の内容などをAIと話し合ったり、なぜ今年中央線ばかり話題となっているのか話し合いました。

改めて世の中の変わりようを考えてみたのでした。

普段なら珈琲を挟んで友人とああだこうだとやり取りし秩父の未来について考えるテーマも最近はAIとのマニアックな会話ばかりになっていてこれは危ういのではないかといぶかるのでした。