昨日の夜は元旦の夜と同じ曇天でただ月だけ天頂で輝くという象徴的な天気でした。
ただ昨日は午後突如として降りだした雪で走りに行くときにはやんでいたもののうっすらと白く積もる状態で影森辺りはかなり道路も滑り走りづらい状況でした。
歩道は雪が白く残っているところもありそのままの雪なら差して滑りもしないのに溶けて黒くなったところはもはや凍っておりこの溶けた雪が凍ったところが猛烈に滑るのです。
相変わらず大型ドラッグストアなど沿道の店は閉まっておりいつもより暗い道で車の往来も少ない静かな夜でした。
昨日もその前もシャトレーゼのトラックには会ったのでコンビニの配送車とケーキ屋さんだけは私同様年中無休だったんだ等と考えながら走り月だけ出ている曇天の下冷たい空気を掻き分けて進むのでした。
年中無休と知っている常連さんは年内いつまでですかとか明けましてなどといった挨拶もなくいつもと同じように訪れ豆の感じとか豆について考えたこととかを話されていきトランプも珈琲は関税を諦めたことにまるで自分がやっつけたかのようにトランプに勝ったと勝利宣言していったり人それぞれ語ることはありいつも通りの日々が流れていきます。
ただ違うのはこれから珈琲は劇的に味がよくなるのです。
それを感じられるのはここ秩父の極端な寒さの地ならではでの出来事で確かに感じることなのですが共感とか私に同意する声はあまり聞かれません。
もしかすると私の家のように皆さんの家は寒くならないで比較的常温が保たれているのでは。
秩父では家のなかでも朝起きたらコップの水が凍ってたとか、結露した窓ガラスがバリバリに凍り氷コーティングされていたとか語り継がれます。
最近の家は断熱材や二重サッシ等昔の家とは違い冷暖房装置も完備ですから自然の温度そのものを感じることもないのかもしれません。
私は毎日秩父の空気に1時間30分はさらされその変化を直に感じているだけにその冷たさや肌に刺さる感じや手や鼻先や頬などがこわばり痛くなる感覚は毎度感じます。
それと同じく珈琲豆も寒さを経てうまくなるという感じは毎冬感じるのです。
とは言うもののそれでは夏30度越えの日が続く日には珈琲が不味く感じるかと聞かれたら答えは否なのです。
つまりはこれは私の願いとか観念の問題なのでしょうか。
いえそうではなく、確実にこれから氷点下で日中でも5度を越えない日が続くと珈琲は美味しくなると感じるのです。それは醍醐味とも言える変化であり季節の楽しみというか季節と共にいきる発見というか特典というか日々の変化や季節を感じていきてこそという信念というかポリシーというか私自身のテーマでそれに合わせて豆を焙煎し調整しているという自負も産まれているのです。
だからこの冬珈琲が美味しくなるというのは大切なことなのです。
これがないと私の焙煎そのものが揺らぐということぐらい重要なのです。
ちなみに6日7日8日は店主スキー出張のため休業となります。
湯沢に行くのですが毎年湯沢に行くと秩父より暖かいなと感じます。
草津は標高も高く秩父と同じような寒さです。三峰と同じ標高ですから当然です。湯沢では雪室コーヒーというのを売ってます。野菜なども雪室保存して味がよくなることからコーヒーもそうしたというわけです。後とうふも寒いところで作ったとうふはうまいという観念があります。京都でもとうふはうまいと感じました。ただこれは夏でも冷奴でうまいのですこらただの観念なのかこれから検証が必要です。
今日はいつも通りバスケット練習に参加します。