エゼキエル18章、33章 の記述 抜粋
神の言葉
『さて、邪悪な者については
彼が自分の犯した全ての罪から立ち帰り
実際に私のすべての法令を守り
公正と義を行うのであれば
彼は生きつづける※。
彼は死なない。
彼の犯した違反 ー
それが彼を責めるために思い出されることはない。
彼は自分の行った義のために生きつづけるのである。
一体 私は邪悪な者の死を喜ぶだろうか?
私は彼がその道から立ち返り、
実際に生きつづけることを喜ぶのではないか?
私は死んでゆく者の死を少しも喜ばないからである』
と主権者なるエホバ神はお告げになる。
『義なる者の義といえども
その義がその者の反抗の日に 彼自身を救い出すことはない。
義を持っている者でも その者が罪を犯す日には
その義(つまり以前の義)によって生きつづけることはない』
反対に…
『しかし邪悪な者の 邪悪に関しては、
その者がその邪悪から立ち返る日には
彼がそれによって つまづかされることはない。
公正と義を彼は行ったのである。
彼は生きつづけるであろう』
つまり …
「以前に沢山 良いことをしたから…
後から 神の 意思に逆らっても大丈夫」
という考えは
相殺されません
反対に…
「以前沢山 神の目に悪いことをしてしまった
これから 生き方を 改めて 神に喜ばれることをしよう」
は、バッチリ OK
以前の やっちゃったことは 水に流されます
人の心が
良いこと
正しい事に
目覚める時
聖書の神も イエス
も 私
も 喜びます
それが 私たちの願い
※「生き続ける」はまず神の記憶に善人として記憶して頂くことから始まります。永遠の命の希望は聖書の不変の約束です。
※一部、聖句の意味を理解しやすいように置き換えてあります。