罪人として知られていた女性が許された理由を考えてみましょう
JWの出版物では、この女性は不道徳な生き方をしていたように書かれています。
しかし、聖句にはそれを示す根拠は何もありません。ほかの何かの罪で有名になってしまっていたのかもしれません。
仮にこの女性が娼婦のような人物だったと想定してみましょう。
娼婦は明らかに聖書の神から見て非とされた業種でした。
淫行や姦淫…今でいう婚前交渉や不倫は律法下では死刑に値する罪でした。
この女性は娼婦になりたくて なったのでしょうか?そうかもしれません。娼婦はお金が儲かったのかもしれません。
でも、もう1つの可能性として娼婦になりたくなかったのに 生い立ちの理由でならざるを得なかったとも考えられます。
現在の娼婦や江戸時代の花魁さんなども子ども時代に親に売られて、奴隷の様になり…仕事としてせざるを得なかったという現実もあります。
そういう方たちは むしろ哀れみを受ける必要があります。
当時のパリサイ人や宗教指導者は、自己中で もうけ主義でした。
神殿でも法外な価格で犠牲にする動物を売りつけてお金をまきあげていました。
不正が横行していました。
ですから、この女性は開き直って こう考えることもできたかもしれません。
「神に仕える祭司や宗教指導者も裏で沢山悪いことをしている。だから私だって何をしていてもいいじゃないか…」
しかし、ご存知のように彼女はそのようには考えませんでした。
むしろ真摯に これまでの自分の行いと向き合い…
自分は神に対して罪を犯しているという良心の呵責を深く感じました。
そして 彼女のその思いは 罪を神に許していただくための行動に動かします。
彼女は考えたことでしょう。
どこに行けば…誰のところに行けば…私の罪は綺麗に許されるだろうか…?
神殿では、宗教指導者やパリサイ人が儀式にこだわり、
沢山の動物の犠牲を求めます。
エホバ神に是認されているようにはとても思えません。
そんな折に 近くにイエスが来ていることを聞きます。
彼女はイエスが聖書の真の神に是認されているということ…
律法にこだわるよりも、神の愛をもって人々に接することを聞いていました。
聖書の真の神がイエスを用いていることが明らかになっていました。
彼女はイエスに、いちるの望みをかけます。
神が用いているのは宗教指導者ではなくすでにイエスであり、
自分の罪を綺麗に許してもらうためにはイエスしかいないということに信仰をおいたのです。
彼女は動物の犠牲を持っていくのではなく香油を持って行きました。
※雪花石膏の香油は一年分の所得に匹敵するような高価なものもありました。今でいえばローズオイルのような希少なもの。
この時代において油を注ぐという行為は、王を任命する時にも行われることでした。
それで、 もしかすると 彼女はイエスが神に任命された王(メシア)であることにも信仰をおいていたのかもしれません。
パリサイ人のシモンの家に着いた時、彼女は周りから白い目で見られたことでしょう。
そうした中でも 彼女は黙々と自分の思い定めたことを行います。
イエスに「許してください」と言葉を連発するのではなく…
罪の許しを求める切実な思いと、
ちょっとでもイエスの役に立ちたいという思いを…
行動で明らかに示し続けたのです。
イエスから…
『あなたの罪は許されています…あなたの信仰があなたを救ったのです。平安のうちに行きなさい』
と言われて 彼女の気持ちは どれだけ軽くなったでしょう…
彼女はまず 自分自身の罪と向き合い…
誰のところに行って どうすれば良いか考えました。
そして実際に行動を起こし…許されました。
彼女は将来、義者の一人として復活してくることでしょう。
※復活を信じることのできる方は信じてください。復活についてここで深く論じることはしません。
私の所に ローズオイル持って来い! 寄付したら許してやる ! ってコトではないですよん
ただ まぁ 低く見積もっても 統治体や 長老に比べたら 聖書の神の近くにいますってことさ