パリサイ人のシモンから食事に招かれたイエスは
誘いに応じることにされました。
イエスは地上におられた時 様々なジャンルの人々と食事をされました
一般の人々からは嫌われていた 収税人という 今で言うところの取立屋のような人々や、
今回のように敵対者の多いパリサイ派の人々の招待にも応じられました。
身分や階級にこだわらず、多くの人々に自分の父である神について正しく知ってほしいと思われたからです。
立場によって差別はされませんでした。
イエスは、シモンの家に着いてからより一層 シモンの自己中心的な動機をはっきりと感じられたことでしょう。
本来であれば客として受ける招待やもてなしを受けなかったからです。
しかし、イエスはすぐにシモンをとがめたり、水を用意して自分と弟子たちの足を洗うように言ったりはされませんでした。
イエスの生涯中の目的、エホバについて正しく伝えるということにいつも焦点を合わせておられました。
自分が良い扱いを受けることよりも、 その目的を優先されます。
もし、シモンの家に罪人として知られる女性が来なかったなら…
食事と交流だけをして、何事もなかったように帰られたでしょう
しかし、この日はその罪人として知られる女性が来て…
イエスの足に口づけし…涙と 香油で拭いたのです。
許しを請い求めるためです。
シモンの心の声
『彼女が罪人だということを知っているだろうに…』
という言葉からも分かるように、当然イエスもその女性が現在に至るまで様々な罪を犯していたことを知っておられました。
それでもイエスは、女性を別の部屋に呼んでこれまでの罪について全て話させることはされませんでした。
「今はやめてくれ」と、女性を止めることもされませんでした。
罪人だからといって拒絶することもしません。
むしろイエスは、 その女性が一定の時間 なすがままにするのを許され…
彼女が本当に悔いていることを示すことができるようにされました。
その間中 シモンはずっと まるで汚らわしい物を見るように
罪人の女性に注目していたことでしょう。
自分が行うべき、もてなし のことも棚に上げて…
それでも イエスは
「シモンのほうが やることやってない」とは言いません。
例え話を話して、パリサイ人のシモン自身に答えさせ…
周りにいた人々も[許し]に関する要点を 理解できるようにされました。
父 エホバ神の、許しに関する真実を知らされました。
様々な罪を犯してきた女性でしたが、
真に悔い改めていることを信頼し…
見る人々全ての前で女性の信仰を褒め…
安心して行きなさいと言われます。
今日において イエスの模範に倣っていると主張する
統治体やエホバの証人の長老は…
本当にイエスの様ですか?
それとも…パリサイ人のシモンの様ですか?