エホバの証人が宣べ伝える動機付けとしてよく用いる聖句がエゼキエル書にある
エゼキエル3:18
「私(エホバ神)が邪悪な者に向かって『あなたは死ぬ』というとき、
あなた(預言者エゼキエル)が彼(悪人)を生き長らえさせるために実際に彼に警告し、話し、邪悪な者をその道から離れるように警告しないなら…邪悪な者は死ぬが…
私(エホバ神)は彼(邪悪な者)の血の返済をあなた(エゼキエル)の手に求めるであろう」
この聖句を現代のエホバの証人はこう解釈する。
エホバ神はハルマゲドンの滅びで邪悪な者たちを滅ぼすことにしておられる。
エホバの証人はエゼキエルに習って出来る限り警告しないなら、邪悪な人に警告しなかったことになり、血の罪を負って滅ぼされるかもしれない。
だから、信者それぞれが最善を尽くして他の人の家を訪問したり 目立つところに立ったりして警告しなければならない。
信者たちにすればもっともらしく聞こえるかもしれない
それでも、私は現役時代からこの解釈と適用に違和感を感じていた
なぜなら、そもそもエゼキエル書は預言者エゼキエルが背教した自国民(その当時のイスラエル国民)に対する滅びの警告をするようにエホバ神に遣わされた記述だから。
JWライブラリーアプリで聖書中に出てくる「イスラエルの家」という言葉を検索すると、エゼキエル書の中で最も多く使用されており その回数は聖書全体の使用回数の半数以上を占める。
さらにエゼキエル3章の文脈を見るとより一層興味深い
エゼキエル3:4-
エホバ神が預言者エゼキエルに語りかける。
「人の子よ、行って、イスラエルの家の者たちの中に入り、あなたは私(エホバ神)の言葉を持って話さなければならない。
あなたは、その言語の理解できない、また舌の重い民の元にではなくーイスラエルの家に遣わされるからである。
その言葉をあなたが理解を持って聞くことのできないすなわち言語を理解することのできない、また舌の重い、数の多い民のもとに遣わされるのではないからである。
もし彼らの元に私があなたを遣わしたのであれば、
それらの者はあなたの話すことを聞くであろう。
しかしイスラエルの家についていえば彼らはあなたの言うことを聴くことを望まない。
私(エホバ神)の言うことを聴くことを望んでいないからである。
イスラエルの家の者はみな頭が固く、心が固いからである」。
「言葉を理解できない民」というのが現代で言うところのエホバの証人以外の方たち。
見下しているのではなく、彼らは聖書の中に書いてあることを知らないというだけのこと。
そして、エホバ神はそれら一般の人たちのほうが エホバの証人よりも素直な人が多いことも知っておられる。
イスラエルの家というのが現代でいうところのエホバの証人
国民、グループとして非常に頭が固く、聖書と神を知っているという高飛車な態度…
組織の中で誰かが虐待されていても 同情もせず、その心も固いまま…
背教した統治体に今でもペコペコついて行き…
現代の[エゼキエル]の言うことを聴かない。
エゼキエル3:27
「聞くものは聞き、聞かないものは聞くな。彼らは反逆の家だからである」。