親や家族、あるいは長老が被害者のSOSを敏感に察知しなければいけない理由を聖書の記述から見てみよう
・列王第二4:17-20
ここには母親のひざの上に乗るような幼い子どもの記述がある
SOSは「僕の頭が、僕の頭が!」としきりに父親に叫ぶというものだった。父親は刈り入れの仕事中だったが、子どもの異変を感じ母親の元に息子を託す事にする。
注目すべき点は幼い子どもの言葉 「僕の頭が!」だけでは何を伝えようとしているのかすぐには分からないということ
この父親は最初子どもの言葉の意味が分からなくて仕事中だったが 息子の異変を敏感に察知し次の判断を下している。これは虐待を受けた幼い子どもの親や保護者の手本といえる
幼い子どもが…
「ボクのお尻が ボクのお尻が!」
「アタチのここ(股)が、ワタチのここが!」
などと言うことがあれば、保護者は言葉の意味がすぐにわからない場合でも子どもからのSOSと察知する必要がある。
もう一つの記述を見てみよう
・サムエル第二13:19、20
異母兄弟の兄アムノンに侵されたタマルの例
タマルは恐らく十代後半くらいのお菓子も作れるような成長した女の子
19節はレイプされた後の彼女のSOSである。身内の兄アブサロムにはすぐにそのSOS自体は理解できた。
それでも20節を見ると
「その兄アブサロムは彼女(タマル)に行った、『お前と一緒にいたのはお前の兄アムノンだったのか』」と尋ねている。[英訳を参照]
つまりタマルは…
「お兄ちゃん、助けて!アムノンに犯された!」
と自分から言った訳ではない。兄のアブサロムはその時点で、アムノンが自分の愛する妹を犯したことを全て察したわけだ。妹のタマルが何をされたか…ほとんど話さなくても…
[※アブサロムが後にどんな人物になったかという話ではありません]
タマルが自分の家族の中で犯されたこと…彼女の話したくない感情を容易に理解できる。そして、そのあと引きこもりになる気持ちも…
現代において、会衆の中で児童性的虐待を受けた子どもたちも非常に複雑な気持ちで…話したくないという感情になるのも もっともなことだ
子どもたちは神権的という家族の中で“兄弟”に侵されたのだから