私はゲームに励みつつ、聖書の多くの記述を解き明かしてきた
私の愛するプリンセスたちは統治体より先に預言を理解している
カルト エホバの証人が児童性的虐待について述べる [二人の証人のルール]について論駁すること、それが かなり先決な事と思える
少しずつ考えてみよう
聖書の述べる 二人の証人の“証人”とは一体 どのようなものか
聖書の記述の中で証人について述べられている記述には 様々なものがある。例えば、多くの人が目撃証人として“一度に”復活後のイエスを見たというものや、シナイ山でエホバの栄光を国民が “皆同じ時” に見たという記述 これらはわかりやすい証人の例である。
キャンディス コンティさんのコメントから思ったのだが…児童性的虐待の犯罪行為の時はほとんどの場合二人きりに決まっている。その時に二人の証人(被害者ともう一人)がいるなどということはほぼ不可能なことだということは周知の事実。
しかし児童性的虐待をする人はそれを繰り返していることがほとんど…
ある犯罪者が二年前に誰かの子どもを犯し…最近また別の場所で違う子を犯したとしよう。
犯された 二人の子どもは 二人の証人にならないのだろうか…?
答えは 明快
[二人の証人になる]
聖書の記述の1つから考えてみよう
マタイ5:20 でイエスは「誓ってはなりません」と言っておられる。
この言葉を使徒ペテロも間近で聞いていたはず
ではマタイ26:69-75で誓ったり 呪ったりしなければならなくなったのはなぜだろう。
答えは 1人 2人 3人 もっと…とイエスとペテロが一緒にいたという“証人”が証言したこと。
これらの目撃証人はそれぞれが、別の“時”に 1人か 数人か 大人数にかかわらず 見た わけだ。
エホバの証人の腐りきった統治体が罰金を払ってまで隠し続けている組織内の児童性的虐待者リストが公になれば 二人の証人だらけに なるはずだ
で 統治体は コケコッコー(チキン)✖️666となる