大曽根駅国鉄職員 殉職者慰霊碑
(東大曽根町46−6付近)
この慰霊碑は昭和20年4月7日の空襲で殉職した職員30名の霊を悼み建立されたものです。
裏面に殉職者のお名前が刻まれていますが、30名中12名が女性です。
徴兵で男性が少なくなった銃後の生活を女性が支えていたのが伺えます。
バンテリンドームナゴヤのプレート
(大幸南1丁目1−1)
バンテリンドームから千代田橋小学校の辺りは三菱重工名古屋発動機製作所大幸工場の跡地です。
軍用機のエンジンを作っていました。
この辺りは最近でも不発弾が見つかっています。
白山神社
(矢田2丁目21−40)
「支那事変記念 日参少年少女団」幡立
※支那事変(しなじへん)当時の人は日中戦争を「支那事変」と呼んでいました。
「支那」は中国のこと。
「事変」とは、広範の非常事態や騒乱のこと 。「事件」よりも規模が大きい。宣戦布告なしの戦争状態や、小規模・短期間の国家間紛争にも用いられる。
wikipediaより
※日参団は自然発生的なものとされ、起源がよく分かっていないそうです。
学校や通学団などで神社に出征兵士の武運長久を祈りに行っていました。
愛知県立旭丘高等学校
(出来町3丁目6−6)
ドイツ人名古屋俘虜収容所の跡地です。
俘虜(ふりょ)は捕虜の事です。
第一次世界大戦での捕虜です。
この頃の捕虜は人道的な待遇を受けていたそうです。
捕虜といっても外出も自由で、解放後も日本に残った人がいたそうです。
パスコの創設者はこの収容所の捕虜からパン作りを教わったそうです。
日独友好の碑
六所神社
(矢田南1丁目6−37)
「紀元二千六百年記念」幡立
※皇紀(紀元)二千六百年は1940年(昭和15年)。
神武天皇即位から2600年ということで記念行事が催されました。
※神武天皇(じんむてんのう)は古事記、日本書紀よると天照大神(あまてらすおおみかみ)の五世孫(いつつぎのみこ)で、日本最初の天皇です。
余談ですが、当時の日本の軍用機は採用された年の皇紀の下二桁を名前につけていました。零戦はこの年に採用されたから零式艦上戦闘機=零戦です。
戦争遺跡とは関係ありませんが、変なものを見つけました。
「明治百年記念」石柱
明治百年?!明治は45年までなのに
不思議だったのでネットで調べました。
昭和43年に明治百年記念式典というのがあったそうです。
読んでも何のためのイベントなのかよく分かりませんでした
明治になって近代化されたから?
でも戦後に国民主権になったのに戦前の事を祝う?
今度、祖父に聞いてみようと思います。
新出来公園
(出来町3丁目16)
陸軍墓地があった場所です。
何か名残や説明板が無いかと行ってみましたが、何も見つかりませんでした。