令和を迎えた1日から著名人が新時代への誓いを語る大型企画「令和の私へ」を3回にわたり連載する。第1回は日本を代表するロックバンド、X JAPANのリーダー、YOSHIKIが登場。平成元年にデビューし、上皇さまの天皇陛下ご即位十年の奉祝曲を手掛けるなど平成とともに生きてきた。解散や再結成、メンバーの死など激動の30年を乗り越え、「ようやく開花するときが来た」と新時代での挑戦を誓った。

 

 僕自身、平成元(1989)年の4月にX JAPANとしてデビューしたので、30周年を迎えたのとほぼ同じタイミングで新時代を迎えることに、とても不思議な気持ちでいます。

 

 今回は生前のご譲位ということで、悲しい雰囲気はないじゃないですか。前向きな雰囲気をもって時代が変わるのは自分にとって、ある種、与えていただいた機会なのかなと感じています。時代が変わった瞬間に自分を見直したり、次の時代に向かおうと前向きになったり、行動を起こすことって、とても大切なことだと思うんですね。

 

 新元号の令和はとてもすてきな響きですね。優しい雰囲気もするのですが、結構強い感じもします。今後、楽曲を作るときに直接、令和という言葉を使うか分かりませんが、令和の響きのような雰囲気を出した楽曲を作りたいなと思いました。

 

 8月に令和最初のディナーショーを開催します。僕は枠にはまらずに新しいことがやりたくて、(食事やワイン、着物のショーやチャリティーオークションなどの総合演出を)最初は試行錯誤しながらやっていましたが、6年目にしてやってきたことは正しかったんだと思えてきました。

 

バンドも激しい曲とバラードを共存させて奇抜なメークで始めたときは無謀だと言われましたが、自分たちのスタイルを続けてきた結果スタンダードになりつつある。今回のショーもいろんな仕掛けがあって新曲も披露しますので、期待を裏切ることはないですね。

 

 平成では、上皇さまの天皇陛下ご即位十年の奉祝曲として「Anniversary」を書かせていただきました。最初の10年はいろいろ喜びもありましたが、悲しみもたくさんあったので、哀愁漂うメロディーをハ短調で表現して最後は力強く未来へ向かっていくという思いを込めて作りました。喜びと悲しみの両方が表現できる楽曲で、平成の時代を語り継いでいく上でもこの楽曲を大切にしていきたいです。

 

 デビューして30年間、良いこともあったのですが、メンバーの(HIDE、TAIJIの)死とか悲しいこともありました。平成の初期にアメリカに住んで30年近くになりますが、紆余曲折を経て少しずつ前に進んでいるとはいえ、世界に通じる扉をちょっと開けたくらい。いろんなつらい試練を乗り越え、ようやく今まで自分が学んできたものを試すときが来た。これからが挑戦、世界に向かって羽ばたくときが来たと思っています。

 

 僕はHIDEとTAIJIという偉大なミュージシャンの存在を世界に伝えることも使命だと思っています。この1、2年、海外だけで1000本以上の取材を受けてきました。自分が頑張ることでX JAPANのことを知ってもらい、2人がいたことを世に知らしめることができる。彼らにささげられる恩返しというか、やらないといけないと思っています。

 

新時代では、今までたくさん作ってきた楽曲を1つずつ発表していくことを含め、構想してきたことを確実に具現化していきたい。平成で学んだ30年分の思いや努力してきたものを全て世の中に出して開花させていきたいと思っています。

 

 ハリウッド映画(「xXx4」の音楽監督)も挑戦していますし、X JAPANのリーダーという立場でもあるので、そこはブレないように支えてくださるファンの皆さんに期待以上のものを返せるようにしていきたい。何か飛び立つときが来たという感じがしてドキドキしています。いろいろ大きな発表もありますので楽しみにしていてください。頑張ります。 (X JAPANリーダー)

 

★「世界が尊敬する日本人100人」  

 YOSHIKIは、先月23日発売の米ビジネス誌「Newsweek」日本版で「世界が尊敬する日本人100人」に選出されたほか、4日放送のNHK音楽番組「SONGS OF TOKYO」(深夜0・5)では万感の思いを込めて奉祝曲「Anniversary」をピアノ演奏するなど令和も絶好調だ。8月9日からは東京・六本木のグランドハイアット東京で自身最多となる12公演のプレミアムディナーショー(同9~12日と23~25日の7日間で昼公演を含む)を開催。「毎回全力なので、7日間で12公演はプレッシャーもありますが、画期的なショーになると思います」と力を込めた。

 

YOSHIKI

 1989(平成元)年、ロックバンド、X JAPANのドラマー&ピアニストとしてデビュー。2005年に愛知万博の公式イメージソング、12年に米ゴールデン・グローブ賞の公式テーマソングを作曲するなどグローバルに活動。バンドは97年に解散し、07年に再結成。14年に米マディソン・スクエア・ガーデン、17年3月に英ウェンブリー・アリーナ公演を成功させ、同年1月の米カーネギー・ホールでのソロ公演と合わせ、アジア人として初めて世界3大音楽の殿堂を制した。