母あやまる | ドイツの木々に囲まれて・・・関西弁とB型家族

母あやまる

先日トムにあやまりました。

今までストレス与えてきてたね、ごめんね。

あなたの事もっともっと理解して寄り添ってあげればよかったのに、学校のシステムに乗せようと必死だったわって。

 

 

 

この秋からトムは大学も変え学部も変えてすべて新しく始めます。

 

去年大学に入ったとき、授業開始2か月で、「俺が勉強したかったことと全然違う。実技がないし、面白くない。」って言ってきたとき、勉強がわからなくて弱音はいてるんだと思って、「まだ始めたばっかりやのに、何言うてるの!航空工学勉強したいって言うてたやん。そのために通らなあかん道やから、分からんとこをなんでわからんのかとか掘り下げて考えてみたらいいやん。」ってかなり怒った。

実は当時、勉強はきっちり理解していた。

 

あの時も彼にプレッシャー与えていたかもしれないけれど、もっと与えていたのは、5年生から9年生まで。

すべてにおいてプレッシャーを与えていた。

 

学校も、ピアノも、当時はサポートしたいっていう思いが強かったけど、今考えてみたらあれはストレス与えてただけやなと思う。唯一ストレス与えなかったのはスポーツ。これは本人が自分自身でストレス与えていたので何も言わなかった。

 

トムが学校のシステムにとことん合わない子だとわかってきたのは彼が高校生になってから。

高校生の時に、あ、この子には向いてないとわかってきた。

 

それでも学校という枠組みの中で生活して、そこで成績が出てきて、結果を出さなければ上に上がれない。

だから必死だった。

 

何回も親子で泣いたし、トムも何度も泣いてたな。

勉強すごくしているのに試験で全然結果が出せていない。

それは試験の問題の答えが導きだせないから。だから文系科目はほぼアウト。

数学に関しては、問題がおかしいと思うと、問題を解こうとせずに、なぜこの問題が解けないかを書いて点数もらえず。

 

トムもつらかったろうけど、私も悩んだ。

どうしてこの子は理解してるのに、答えがわからないのだろうかって。

いろいろネットで調べたり本を買って読んだりした。

 

幸いなことに高校に入って、トムを理解してくれる先生が数人おり、この先生方に救われて無事卒業できました。

プレゼンをした際にインフォマティックの先生に言われた、「トムの説明は本当にわかりやすくて素晴らしかった。これはほかの先生にも教えるよ。皆知らないと思うから」って言ってもらい、自信を持ちました。

 

 

トムは大学を選ぶとき、「俺はこれを勉強したい。でもこれは大学院でしか勉強できなくて、そのためには大学でこれを勉強せなあかんから、とりあえず何かわからんけど勉強してみるか」で始めた。

 

けれど、トムの場合は、まず始めてみて興味があれば続けるタイプ。いきなりゴールを設定して、そこを目指すタイプではないようです。

今年に入って自分で興味を持って勉強始めたプログラミング。

今度は壁にぶち当たっても、自分で乗り越えていけると思うって言ってた。

 

そっと見守り、助けを必要としたときにはすぐ動けるようにします。

 

 

 

親も一人の人間。子供も同じく一人の人間。

周りと比べてはいけないとわかっていても、どうしても目に入る周りの人たち。

隣の芝生は青く見えるじゃないけど、この子はできて、どうしてわが子はできないんだろうって皆思うと思う。

友達関係においても、皆で楽しくしているのを見ると、どうしてわが子は一人ベンチで座って誰の輪にも入ろうとしないんだろうと勝手に悩んでいた時期もある。

友達関係に関しては高校になって、友達とよく遊びに行くようになりました。

結局合う人がいなかったみたい。

 

過ぎ去った過去を振り返ったら、あーしとけばよかった、こうしとけば違ったかもって思うし、もっと冷静に見れるけれど、乳幼児期の子育てのときに、「いつになったら夜泣きがなくなるの」「いつになったらいやいや期が終わるの」って悩んだのと同じように、ずっと一人で勝手に悩んでる自分がいます。

 

それが親なんだろうな。。。

 

親は一生親だからね。

 

 

今までも、これからも、きっと、いや絶対に、たくさん「ごめんね」をいうことになるだろうな。。。

 

 

 

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トムは保育所時代から個性的な子で少々目立つ存在でした。正確には生まれた直後からかな。ベテラン助産婦さんが、「こんな赤ちゃん初めて見た!」っていうてたから。

2,3歳のときは外国人バンドのオープンエアフェスに連れて行ったら、ステージの目の前で傘をギターに見立てて豪快にのけぞり、スライディングして踊ってたけど、人がわーっときて写真撮られたらうつむいて固まりピクリとも動かない。

そのころ仲良かった友達のうちにあったおもちゃを気に入って何時間でも遊んでいたので、全く同じものを買ってあげたら、全部分解して、バラバラにして全く違う遊びをしていた。私が「この前xx君とこで遊んだやつやで。こうやってこっからボール入れて~」って組み立てたら、また分解してオリジナルの創作ゲームを作っていた。

この前、保育所のときの園長先生と同じ保育所で働いているというママ友友人が、「園長先生、トム君の事すごく覚えてるよ。」って言ってた。トムはそんなに「先生、先生」って行く子じゃなかったし、今でもそんなに目立つ子じゃないと思う。けれど、結構覚えてもらえる子ではあると思う。

ドイツの小学校1年のとき、キリン組だったんだけど、キリンを「黄色と茶色で塗りましょう」と言われたのに、一人色鉛筆全色使って塗ってた。教室入ってキリンの絵が貼ってあって、「誰やあのへんなキリン塗ったんわ!個性的やな~」って思ってみたら、わが子だった。爆 (これは、先生が何色を使って塗ってくださいのドイツ語を理解していなかったので、好きに塗ったというやつですが、これいまだに当時のクラスメイトの親友君に言われるそうです。)

 

 

個性的な子だなと思って育ててたけれど、学校という器に入ったとき、息苦しくてつらいことがたくさんあったと思う。

また大学という器でも、もがかないといけないかもしれないけれど、自分の道を自分の力で太く濃く線を引いていってほしいと思います。

 

今は2つの大学に申し込んでるけど、どちらでもいいって言うてる。とても楽しみだっていうトムを見てうれしくなります。