優しさへの近道 | 明日はきっと "新しい"

明日はきっと "新しい"

(難病や障害と共に生きるってどういうことだろって考えながら過ごす日常を綴っていきたい・・・な)


一昨日あたりからはじまった嫁さんの体調不良は、昨日をピークに今日の午後にはほぼほぼ復調した・・・今回の場合は、状況的に気圧・気温・天候の中の何が直接的な原因なのかはわかりにくいが、何れにしても、そのどれか、またはその全部が原因なんだと思う照れ

昨日はかなりしんどそうだったので、フレックス退社して家事にあたった・・・「ある意味これも我が家の“日常”だな」なんて考えながら💦



体調不良を訴える度、「ホントかよ」と疑ったこともあったし、「気の持ち樣だろ」と軽んじていたこともあった・・・若かったからでは済まされない無神経と無関心がそこにはあった。

「知らなかったから」が原因ではなく、「知ろうとしなかったから」が原因なんだと、今更だけど思う・・・そして、その背景には「自分は何でもわかっている」という傲慢な傲りがあったことも、今ならちゃんと自覚している。



”人は基本的に優しく出来ている“と僕は信じている・・・僕自身を含めて。

だから、知っていさえいれば、きっと人は、自然と目の前の”痛み“に寄り添える・・・僕はそう思う。

だけど、僕らは驚くほどに僕らのことを知らない。

なのに、歳を重ねる中で、僕らはそのことを忘れていく・・・100年生きたところで、世の中全ての”痛み“に触れることなどできやしないのに。

それに、たまたま“痛み”に触れた時、「その”痛み“がわかったこと」と勘違いしがちだ・・・100年寄り添ったところで、その”痛み“を等身大で捉えることなど、その本人以外に出来やしないのに。

大切なことは・・・「僕らは驚くほどに僕らのことを知らないし、それは一生変わらない」ということをちゃんと自覚し続けること。

「一生変わらないことを自覚してしまうと、人は全ての”痛み“を知ることを諦めてしまうのではないか?」という懸念は無用・・・人はそんなに薄情には出来ていないと、僕は信じているから・・・僕自身を含めて。

だから、”自身の無知“をちゃんと自覚し続けたいなと僕は思う・・・それが“優しさへの近道”だと誰よりも信じて照れ