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まーくのBitter & Sweetな日々。

寺社巡り、美術館・博物館巡り、B級グルメ好き、地域猫。
シーズン中はよさこい鑑賞。関西在住信州人。
甘くほろ苦い日々を、熱く語ります。

この25日は真如堂さんへ、

前月もオジャマした位よく行ってるんだけど、

今回は初めて参加する行事に、

宝物虫払会 だ、

その名の通り寺院に保管されている宝物を、年に一度堂内で虫干しし、

一般参拝者にもご披露する、というもの、

巻物を主に、歴代法主の像など、絵画類が多かったかな、

有名なものではないけど、

やはりお寺の歴史を感じずにはいられなかった、

堂内は撮影禁止だったんだけど、ちょっとズルをして、

こーゆーことはしちゃいけませんwww、

この催し、雨天だと中止なそうなので、

猛暑だったけどま、晴れてて良かったね。

 

また同時に庭園も公開されてたので、

涅槃の庭、

まだ新しいものだけどね、

比叡山を借景に、

座敷の方から、縁側越しに、

書院から、随縁の庭を望む。

お寺さんって、エアコンなくても最新の建築よりやや涼しい、

いにしへの人々の知恵に敬服だね、

猛暑の中、一服の清涼剤、といったところでした。

 

おまけ、この日のお昼、

ここら辺に行ったらもちろんこちら、

融合カレーさんの、今回はキーマカレー、

いつもながらの優しいお味で、

心もおなかも満たされました。

この24日は、祇園祭後祭山鉾巡行を見物に、

とは言え前夜急に決めたので予習は全くなし、

始まる時間だけ確認しておけいはんに乗る。

 

で、9:40過ぎ、河原町三条を下った東側にとうちゃこ、

まぁね、一応何度も来てるので見易い場所だけは心得てるので、

混む場所、日なたを避けて、程よい場所を確保、

ま、やっぱりこの暑さ、逆側には人はいなかったわなwww、

そんな混雑に巻き込まれることなく場所を確保。

 

するとあとから品のよさげなご婦人が、椅子を持参で、

オレの後ろに場を確保してたんだけど、

坐ってるとオレがジャマで見られなそうだったし、

前にいても写真撮るには苦にならなかったので場所を変わった、

そんなご縁で、けっこう色々と話しも弾んだ、

聞くとやはり地元の方で、こちらの役員さんと高校の同窓生、

応援に毎年足を運んでるのだとか、

せっかくなので一枚、

先導の、大役だわな。

 

結構時間が経った後、まず先頭の山が、

くじ取らずの橋弁慶山、

そうこうしてる裡に、なにやら後ろの方で子供の気配が、

振り返ると小学校低学年ぐらいかな、男の子と、

多分幼稚園かな、の女の子とおかあさんが、

やっぱりオレがいてよく見られなさそうだったので、

お子さんふたりだけ前に行ってもらった、

で、「おかあさんはダメよ」って軽口も叩きつつ(これはオレらしい、照れ隠し)、

訊くと今回初めて見に来たそうなので、こうしてやってよかったかな、と、

夏休みのいい思い出にしてほしいもんね、

(昔っからオレは、ソトヅラだけはイイと言われていた(苦笑))、

役行者山の先導の法螺貝隊、

南観音山の扇隊、

ちびっ子たちも隣のご婦人やら逆側にいた外人君と、

仲良くお話ししながら見ていた、

鯉山のタペストリー、

これが有名な、海外から渡って、

数チームで分けたものの一部なんだね。

 

ただ、ここらで既に始まってから一時間越え、

写真では続いてる様に見えるけど、

この山鉾間は結構な時間の経過があり、

待ち時間って言うか、進まない時間が長かった、
(交差点で辻回しを大きな山鉾はやるので、そのための時間調整)、

しかもこの猛暑と来てる、

ご婦人もそろそろ体力的にきつくなったのか、そろそろおいとま、

ちびっ子もだんだん飽きてきちゃってグズり始める始末、

早くどこかでかき氷食べたい、なんて言い出しちゃったらもうダメね、

おかあさんも仕方なく、次の大きいの見たら帰ろう、って、

で、次の大きなの、北観音山、

楽しみにしてたおかあさんは気の毒だったけど、

ま、仕方ないよなぁ~、

大船鉾見るのを楽しみにしてたそうなんだけど、

ここから北に向かえばどこかですれ違う筈ですよ、って教えて、

後ろ髪惹かれる思いで去って行った、

こどもたちはでも、疲れ切った表情してたかな、
どこかでかき氷食べられたかな、そしておかあさんは、

大船鉾ちゃんと見られたかな、ちょっと気になる。

 

で、残されたのはオレと、その外人君、
多分東欧系かな、ガタイよくてちょっと強面だったんだけど、

今書いた様に子供には優しい感じだったし、

話して見れば結構優し気な好青年だったので、

オレもホッとしながら、片言でお話ししながら。

 

そしていよいよトリの大船鉾、

別名凱旋の鉾と言われている、

確かにかっこイイよな、シュッとしてて、

おかあさんもどこかで見られてればいいけどね。

 

そんなこんなで今回は、

巡行そのものよりも周りの方々との交流が楽しかったな、

この生活になって早や幾星霜、思えばこれだけ人と話したので本ト久し振り、

やっぱりオレにとっての楽しいってのは、人と接することかなって、

改めて思った次第、

特にちびっこたちとおかあさんは、ちょうど娘と孫みたいな年頃で、

ホントに家族みたいな感じを味わえた、

周りの人に恵まれた今回、

巡行よりも印象深かったな。

 

おまけ、今回のお昼、

三条川端通の「篠田屋」さん、

行列覚悟で行ったんだけど殆んど待たず、

お約束の「皿盛 大」をいただきました、

これも含めてラッキーな一日だったね、

色々関わっていただいた皆さん、ありがとうございました。

このほど渋谷陽一氏の訃報にふれた、

ロック界ではもうレジェンド的な存在の評論家だ、

’72年に雑誌Rockin’on を若干二十歳で創刊、

以来日本のロック評論界を牽引してきた、

偏った辛口の批評ゆえ、敵もかなり多かったが、
(特にミュージシャンが多かったかな)、

反面妄信的な信者も多数いた、

オレはやっぱり後者の方で、

10~20代の頃は毎週氏のFⅯ番組を聴き、

毎月Rockin' on を購読し、

レコード評なんか参考にして買ってたし、

氏の影響でハマったバンドやアーティストもけっこうあったし、

また、自らも評論を投稿もしてたりしたんだけど、

見事に一度も採用されることもなく、

仕方なく地元でミニコミ誌にチマチマと投稿してた、

オレにとってはその後の音楽的趣味に大いなる影響を与えてくれた方だ、

と言っても過言ではない、

これでも一応、昔は音楽評論家目指してたんだよなぁ~、懐かしい…。

 

そのくせ20代に入るとオレの興味もより多岐に渡り、

またよりディープなもの、オルタナティブなものに変移して行ったので、

それだけじゃ飽き足らなく北村昌士氏の「FOOL's MATE」も読んでたので、
(因みに北村昌士氏も2006年に既に他界)、

渋谷氏からはちょっと離れていってしまったが。

 

あ~あ、それにしてもなんだな、

若い頃親しんだ、感情移入できる人がどんどんなくなっていく、

どんどんつまらない世の中になっていくな、

世の中の新しい動きにどんどんついていけなくなってきてるし、

オレもそろそろかな、とも思う。

 

謹んでご冥福を祈ります、

氏の御霊よ、永遠であれ。