今くるよさん死去 | 女装男子かなこのブログ

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女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」で1980年代の漫才ブームをけん引した今くるよ(いま・くるよ、本名酒井スエ子=さかい・すえこ)さんが5月27日、膵臓がんのため大阪市の病院で死去しました。


年齢は非公開としていたが、76歳でした。


今くるよさんは1947年6月17日生まれ、京都市出身。


1970年に夫婦漫才「島田洋之介・今喜多代」の今喜多代さんに弟子入りし、京都明徳高校時代の同級生で同じソフトボール部だった今いくよさんと1973年に「今いくよ・くるよ」を結成しました。


ソフトボール部ではいくよさんがキャプテン、くるよさんはマネジャーでした。


コンビを組んだ後も常に行動を共にし、10年近く、ほとんど仕事がない状態が続いた若手時代も2人そろって京都から各劇場に通いました。


女性同士の漫才コンビの先駆け的存在で、当時、女性同士の珍しいコンビに、オーディションでも罵声が飛んできたというそうです。


そんな中で2人で励ましあいながら芸の道を進みました。


その後、細身で濃いめのメークとつけまつげがトレードマークのいくよさんと、ふくよかな体型に派手な衣装のくるよさんは強いインパクトで笑いを呼び込み、1980年代の漫才ブームを支える人気者になりました。


かぼちゃ形のドレスやちょうちんのように伸び縮みするスカート、鈴が100個付いた服などパンチのある衣装が製作されました。


衣装は専属デザイナーによる手作りで、一度作った衣装は二度と着ませんでした。


ユニークなデザインにこだわるあまり、舞台上で胸が丸見えになるハプニングもありました。


舞台中にスカートがずり落ち、それをたくし上げながらしゃべくりを続ける所作も爆笑ネタのひとつでした。


全てはファンに喜んでもらうためでした。


くるよさんは「登場した瞬間に“うわ~”という歓声が聞けるのが幸せ」と話していました。


お腹をポンとたたくしぐさや、両手を顔の前で交互に前後し「どやさ」という言葉は、くるよさんを慕う後輩たちがこぞってマネをし、くるよさんの代名詞的なギャグになりました。


いくよさんが「私、ピッチャーでエース。くるよちゃん、キャッチャーでロース」と言い、くるよさんがつっこむ、いくよさんがくるよさんの腕を「足」と表現する漫才のつかみは定番でした。


他人の悪口は絶対にネタにしないのが彼女らのポリシーでした。


「仲が悪いコンビほど面白い」とも言われた時代に異色の仲良しコンビで、取材も2人そろってでしか受けないことを公言していました。


上方漫才を代表する女性コンビへと成長し、1984年には上方漫才大賞を受賞しました。


後輩思いで知られ、舞台衣装の靴や衣装を贈り、食事をごちそうもしました。


大勢の仲間、後輩から慕われていました。


女性漫才のパイオニアでレジェンド的存在となったが、いくよさんは2014年に胃がんが見つかりました。


くるよさんの献身的なサポートを受け、いくよさんは闘病しながらステージに立ち続けました。


いくよさんは2015年5月28日、67歳で死去しました。


いくよさんが亡くなった後、くるよさんの憔悴(しょうすい)ぶりを多くの後輩芸人が心配しました。


その後、ユニットを組んだこともある中川家ら後輩芸人の活躍を楽しみに過ごし、2022年4月に行われた吉本興業創業110周年を記念した特別公演「伝説の一日」が最後の舞台となりました。


同2日の吉本新喜劇のコーナーでは車椅子に乗って登場。


3年ぶりとなるNGK(なんばグランド花月)のステージで「どやさ~!」とギャグをかまし、元気な姿を見せていました。


2023年には大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)が大きな功績を挙げた演芸人を称える「第26回上方演芸の殿堂入り」に「今いくよ・くるよ」のコンビで選ばれました。


くるよさんはいくよさんの死去から9年後の5月27日に亡くなりました。


仲良しコンビは1日違いで他界しました。


発表がいくよさんの命日となりました。


ネット上でもくるよさんの訃報発表日が5月28日だったこともあり「同じ日に…」「来世でもコンビを続けられますように」としのぶ声が相次いでいました。


吉本興業の芸人仲間もくるよさんを追悼しました。


〇西川きよし

女性漫才師として「漫才ブーム」を牽引されていたことが強く印象に残っております。舞台では、クリスマスツリーを彷彿とするくらい常に華やかな衣装を身にまとい舞台に出るだけでも周りの雰囲気が明るくなり子供からお年寄りまで多くの方々に愛されていました。番組で忙しい時でも、収録終わりによく食事にご一緒しましたが、食べっぷり、飲みっぷり、払いっぷりの良い最高のお二人でした。とても楽しかったことを懐かしく思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


 <ザ・ぼんち> 


〇ぼんちおさむ

今くるよさん、逝ってしもたか。どんどん寂しくなるな。相方のいくよさんが亡くなって ひとりになっても気丈に頑張ってはりましたね。まわりの人にも気配りする人で、本当に残念です。また、相方のいくよさんとあったら「どやさ」と言いながら漫才して下さいね。漫才ブームを一緒に走りぬけた戦友です。ありがとうございました。お疲れ様でした。


〇里見まさと

1980年代の漫才ブーム、共に闘った仲間がまた1人逝かれました。お二人には、大変お世話になっており……多くの事を学ばせて頂きました。短くまとめた言葉が見つかりません。本当に短くでは感謝や思いは語り尽くせません。今はただ、ご冥福をお祈りいたします」


 <宮川大助・花子>


〇宮川大助

漫才のことで、頭いっぱいになっていた僕に「あんたの相方は、お母さんでもあって、奥さんでもあるんやから、子供を学校にいかして、家事もして、そこから漫才に切り替えてる事はめっちゃくちゃ大変なこと! あんたのこの世で1番の宝物なんやで!!」と何度も教えて頂きました。ありがとうございました。


〇宮川花子

なんでも、いくよねーさん! くるよねーさん! と頼ってましたし、わたしたち夫婦にとって本当のお姉さんでした。1番お礼をお伝えしないといけない師匠です。ゆっくりおやすみください。


私もくるよちゃんのあの衣装を着てみたかった…。