視聴者参加型クイズ番組の競演 | 女装男子かなこのブログ

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元NHKアナウンサーの鈴木健二さんが3月29日、95歳で亡くなりました。


鈴木健二さんを代表する番組といえば、1981年から始まった「クイズ面白ゼミナール」でした。


中でも、1982年9月12日放送回は視聴率が42.2%というクイズ番組の歴代最高を記録しました。(ビデオリサーチ調べ、関東地区)


「クイズ面白ゼミナール」は日曜夜7時20分からの40分番組でした。


当時のテレビは裏番組に同じようなジャンルの番組を持ってくることも少なくなく、裏番組にはTBS系で「アップダウンクイズ」(毎日放送)、テレビ朝日系で「三角ゲームピタゴラス」「世界一周双六ゲーム」(朝日放送)「クイズヒントでピント」(テレビ朝日)が放送されていました。


当時は視聴者参加型のクイズ番組に活気があった時代で、「アップダウンクイズ」「三角ゲームピタゴラス」「世界一周双六ゲーム」
は視聴者参加だったが、「クイズ面白ゼミナール」「クイズヒントでピント」は視聴者参加ではなく、芸能人のクイズ番組でした。


特に「アップダウンクイズ」は「クイズ面白ゼミナール」と時間が重なる終盤の10分間で10問正解・ハワイ旅行獲得を達成する解答者が出てくることが多く、特にその頃は10問正解を達成した解答者を迎えに行く女性アシスタントが白いポロシャツに白いミニスカートを着ていて、タラップを上がる時にほぼ確実にスカートの中からパンツが見えていたので、それを目当てに見ていた人も中にはいたようです。


もっとも、スカートの中にはアンダースコートを履いていましたが。


今では地上波のテレビから消えてしまった視聴者参加型のクイズ番組だが、過去には同じ時間帯に視聴者参加型のクイズ番組が競演することがありました。


前記の「アップダウンクイズ」(毎日放送)、「三角ゲームピタゴラス」「世界一周双六ゲーム」(朝日放送)は1982~85年、同じ日曜夜7時から放送されていました。


いずれも視聴者参加型のクイズ番組ということに加え、大阪発の全国ネット番組という点でも共通していました。


当時、「アップダウンクイズ」はクイズファンの間で「クイズタイムショック」(テレビ朝日)「パネルクイズ アタック25」(朝日放送) とともに「クイズ御三家」と呼ばれ、いずれも視聴者参加番組とあって応募者も多かったです。


「三角ゲームピタゴラス」は視聴率で苦戦したため、1983年3月から「世界一周双六ゲーム」に変わりました。


もともとは1980年から、日曜朝11時から関西ローカルで放送されていました。(一部の系列局でも放送)


そのため、この時間のキー局番組「クイズマガジン」(テレビ朝日)は全国ネットだが関西では非放送でした。


それが、日曜日のゴールデンタイムの全国ネットに昇格したのです。


司会の乾浩明アナウンサー(朝日放送)にとって、これが初めての全国ネット番組の司会でした。


「アップダウンクイズ」も小池清アナウンサー(毎日放送、故人)が司会だったので、ともに局アナが司会ということになりました。


東京キー局以外の局アナが全国ネット番組に出演するときは標準語を使うのだが、乾アナウンサーは関西弁丸出し、たまに出場者に毒づくところが人気を集めました。


結果、「世界一周双六ゲーム」は乾アナウンサーの人気もあってさらに視聴率を上げ、視聴率で「アップダウンクイズ」を上回りました。


一方の「アップダウンクイズ」も1983年10月から俳優の西郷輝彦さん(故人)が司会となったが、その後の視聴率低下に歯止めがかからず、さらに1985年8月12日に発生した日航機墜落事故で日本航空からの協賛を打ち切られ、番組自体も同年9月で終了しました。


だが、「世界一周双六ゲーム」も翌1986年3月で終了、 同じテレビ朝日系の視聴者参加型クイズ番組だった「クイズタイムショック」、それに「三枝の国盗りゲーム」(朝日放送)も同年10月で終了、「アップダウンクイズ」の後番組「クイズひらめきパスワード」(毎日放送)も視聴者参加でスタートしたが1年ほどで視聴者参加は廃止され芸能人のクイズ番組に切り替わり、視聴者参加型クイズ番組の衰退傾向が見られるようになりました。


「クイズひらめきパスワード」の司会を務めた元毎日放送アナウンサーの野村啓司さんも今年3月に亡くなりました。


なお、同時期のテレビ朝日系の視聴者参加型クイズ番組はほかにも「100万円クイズハンター」があったが、全国ネットだが関西では非放送でした。