キダ・タローさん死去 | 女装男子かなこのブログ

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CMソングやテレビ番組のテーマ曲を数多く手がけ「浪花のモーツァルト」と呼ばれた、作曲家のキダ・タローさん(本名・木田太良=きだ・たろう)が、5月14日に亡くなりました。


93歳でした。


キダさんは、1930年12月6日生まれ、兵庫県宝塚市出身。


関西学院高等部時代に学生バンドに参加したことがきっかけで、プロの作曲家の道に進みました。


関西学院大学を中退後、プロピアニストを志し、作曲活動を本格化させました。


生涯でおよそ3000曲を作曲しました。


 「プロポーズ大作戦」(朝日放送)のテーマ曲や「とれとれぴちぴち」の歌詞で知られる「かに道楽」のCMソングなど、関西にゆかりがある人なら誰もが口ずさめるメロディーで、親しまれました。


また、テレビやラジオにも多数出演し、丁寧な語り口にもかかわらず毒舌というスタイルで人気を博しました。


「浪花のモーツァルト」の愛称は、出演していた「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送テレビ)で名付けられました。


ただし、キダさん本人は「わし、モーツァルトよりもショパンが好きやねん。あの繊細さ、あのピアノのタッチ。ほんまは『なにわのショパン』になるはずやった」と話していました。


老若男女に愛された「浪花のモーツァルト」が帰らぬ人となりました。


仮にキダさんは知らなくても、キダさん作曲の曲なら、誰もが必ず聞いたことがあるでしょう。


「探偵!ナイトスクープ」に「最高顧問」として長年出演するなど、関西を中心に圧倒的な存在感を放ってきました。


作曲について「メロディーだけなら猫でも作れる」「世の中の曲と多少似ていてもかまわない」「一部の曲は使い回し」との持論があり、そのスタイルが多作に結びついたと話したこともありました。


関西名物の象徴としても知られ、在阪のテレビ各局には「いざとなったら、キダに頼め」と言われる存在でもありました。


作曲数の実数は、生前自らも「わからん」と言いながらも、自称で「5000曲」。


実質、数千曲に及ぶのは間違いありません。


アホの坂田として人気を誇った坂田利夫さん(故人)の出ばやしは、メキシコ民族舞踊のオマージュ「アホの坂田のテーマ」。


大阪の人気漫才師コメディNo.1(前田五郎、坂田利夫)が1972年に歌ったヒット曲です。


「アホ、アホ、アホの坂田…」で始まる同曲のインパクトはすさまじく、関西では大ヒット。


しかし「生徒の坂田さんがいじめられる」「坂田先生が困っている」と教育問題に発展、一時は放送自粛になりました。


テレビ番組のテーマソングは「バラエティー生活笑百科」(NHK)、「プロポーズ大作戦」「ラブアタック!」(朝日放送)、「2時のワイドショー」(読売テレビ)のほか、人気深夜放送ラジオ「ABCヤングリクエスト」(朝日放送ラジオ)を手がけました。


「ABCヤングリクエスト」は1966~86年に放送された、深夜のラジオファンに愛された伝説の番組です。


お笑いとバラエティー色が強かったライバルの「MBSヤングタウン」(毎日放送ラジオ)とは対照的に、落ち着いたトークと歌謡曲、洋楽などのレコードを連日かけていました。


その番組内の人気コーナー、「ミキサー完備スタジオ貸します」がキダさんの担当で、アマチュア歌手がプロの機材を使って演奏しました。


キダさんがプロの視点から助言していました。


まだアマチュアでプロを目指していた円広志さんは常連でもありました。


またヤンリクのテーマ曲もキダさんの作品で、初代の歌手は奥村チヨさんです。


CMソングにも代表作は多く「と~れ、とれ、ぴ~ち、ぴち…」の「かに道楽」や、「あ~らよ」で始まる「出前一丁」(日清食品)、「551蓬莱」「くいだおれ」「有馬兵衛向陽閣」「アサヒペン」など、数知れません。


また、プロ野球近鉄バファローズの大ファンで「近鉄バファローズの歌」では編曲を担当しました。


市町村歌、学校の校歌なども手がけ、大阪桐蔭高校吹奏楽部の依頼で野球部応援ソング「アルプス・キダ・タロー」も作曲し、全国優勝した甲子園大会で流れました。


前述の「アホの坂田」以外にも、北原謙二「ふるさとのはなしをしよう」や笑福亭仁鶴「大阪は第二の故郷」などが知られています。


ジャンルを問わぬ多作ぶりで一時代を築きました。


歌手でタレントの円広志さんが15日、YouTubeチャンネル「円広志ドウドウ!? Channel」を更新。


14日に亡くなったキダさんをしのでいました。


緊急追悼配信【キダ・タロー】と題された動画では、生前のキダさんが「プロポーズ大作戦」や「2時のワイドショー」などをピアノで演奏し、その後ろで円が聞き入っている姿が流された。「キダ先生、長い間、お世話になりました。ありがとうございました。そして、お疲れ様でした」とテロップが映し出されました。


キダさんは2022年から円さんの個人事務所「オフィスとんで」に所属、ホームページで訃報が発表されました。


所属事務所によると、キダさんは、3月29日に「最高顧問」として出演していた「探偵!ナイトスクープ」の収録を終えた後、体調を崩し、病院に入院するなどして、静養に努めていました。


同事務所は「食欲が落ちたりもあって、そこから退院したりしましたが、体調が戻らなかった」と明かしました。


キダさんが最高顧問を務めた「探偵! ナイトスクープ」公式Xは15日夜「最高顧問キダ・タロー先生が、お亡くなりになりました。4月19日の放送が、最後の出演となりました」などと追悼のコメントを発表しました。


「これまで最高顧問として、上岡(龍太郎)さん、西田(敏行)さん、松本(人志)さんという3人の局長を、そして、探偵たちの働きぶりを、我々スタッフを、優しく、厳しく、見守っていただきました。ご冥福をお祈りいたします」と悼んでいました。


「探偵!ナイトスクープ」生みの親、松本修プロデューサー(当時)が名付けた「なにわのモーツァルト」。


これをめぐっても、感謝しつつも「モーツァルトよりもショパンが好き。あの繊細さ、あのピアノのタッチ」と話していたのは有名だが、これもネタに転化して、誰も傷つけることなく、きれいに笑わせていました。


長らく、朝日放送ラジオのパーソナリティー仲間だった中村鋭一さんが亡くなった際には、中村さんを「畏友(いゆう)」と表現しました。


親友でも、盟友でもありませんでした。


言葉選びにも、見識の深さがありました。


また、共演者には「礼儀正しさ」を求め、礼節さえ失わなければ、若年者の“行きすぎ”も許しました。


懐の深さも格別でした。


「アホの坂田」「かに道楽」、多くのテレビ音楽…数え切れない楽曲を生み出したキダさん。


音楽の才だけではない、唯一無二の存在感。


関西芸能界の宝でした。