消えゆく百貨店の屋上遊園地 | 女装男子かなこのブログ

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かつて、デパートの屋上には小さな遊園地がありました。


休日ともなれば、ゆったりとした動きのカートやジェットコースター、絶叫マシーンからは親子の嬌声があがり、併設されたゲームコーナーにずらりと並んだメダルゲームやビデオゲーム、クレーンゲームには小銭を握りしめた子供たちが群がっていたものです。


豆汽車や小さな観覧車には多くの家族連れが乗り込んで穏やかなひと時を楽しみ、大きなドラえもんの像を見た子供が歓声を上げて大喜びする光景もよく見られました。


ミニ四駆やRCカーのレースが開催されることもあり、自慢のマシンを披露しようと、多くの子供たちが会場に詰めかけました。


大きなデパートともなればステージが設えられており、ウルトラマンや仮面ライダーをはじめとする特撮ヒーローやアニメのキャラクターショー、新人アイドルや演歌歌手のコンサート、ときには芸能人やプロ野球選手を呼んでのトークショーなども開催されていました。


屋上遊園地は「ハレの日」を楽しむ人びとが集まる憩いの場として、楽しい思い出をたくさんくれた場所だったのです。


店によってはうどん🍜やアイスクリーム🍨🍦なども売られており、青い空を見ながらお腹を満たした記憶をお持ちの方もいるのではないでしょうか。


そんな屋上遊園地も、現在では極めてまれな存在となりました。


2023年の時点で常設の屋上遊園地は松坂屋の大阪高槻店と名古屋店、金沢市の大和香林坊店、松山市のいよてつ高島屋、長崎市の浜屋百貨店の5か所でしたが、浜屋の屋上遊園地は2024年5月6日に50余年の歴史に幕を閉じました。


浜屋百貨店の屋上遊園地は運営業者の廃業で昨年12月から休園していたが、感謝の気持ちを込め、5月2日から6日まで特別に開放されました。


屋上遊園地は、あと4つしか残っていないのです。 


なぜ、屋上遊園地は数を減らしているのでしょうか。


ひとつ目の理由としては、1970年代にデパートで大規模火災が連続して発生したことを受けて消防法が改正され、屋上の半分を避難地域として確保することが義務付けられた点が挙げられます。


観覧車やジェットコースターといった大型の遊具の設置が難しくなり、魅力が減少し、客足が遠のく結果を招きました。


ふたつ目の理由は少子化です。


いまから50年前、1974年に生まれた子供は200万人以上いましたが、2023年生まれの子供は75万8631人とほぼ3分の1にまで減少しました。


屋上遊園地はシャワー効果という「最上階に集客力のあるイベントや店舗を誘致し、最上層に誘導し、そこから下層へ降りていく途中で買い物をさせる」戦略の元に作られたという経緯があります。


昭和の時代、家族みんなで百貨店に行くことは、レジャーでもありました。


家族みんなでイベントに向かい、終わったら下の階のレストランで食事をし、おもちゃ売り場や子供服売り場で買い物をしてもらう商売の形が、子供の減少により困難となりました。


レジャーの多様化や生活スタイルの変化も加わり、家族連れの来客は減少しました。


また、バブル崩壊後にステージイベントの開催が激減したこともあり、デパート側に屋上遊園地を維持する意味がほぼ失われてしまったのです。


3つ目の理由としては、機材メンテナンスの難しさがあります。


屋上は当然ながら風雨にさらされます。


屋内にある機材と比較すると劣化が早く、塗装もしばしば禿げるため、ひんぱんな手入れが必要です。


屋上遊園地が衰退し、遊具を扱う業者も減少し、メンテナンス技術を持つ人員の確保も難しくなったのも閉鎖の要因になったと思われます。


屋上遊園地が最盛期を迎えたのは1970年代とされています。


当時と比較すると、現在では遊園地(テーマパーク)としては東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)など大型の施設が人気を博しています。


また、イベント会場としては東京ビッグサイトや幕張メッセ、インテックス大阪をはじめとする、天候に左右されず屋内でイベント開催ができる施設が整っています。


もはや、屋上遊園地がかつての栄光を取り戻す日は来ないのでしょう。


それでも、楽しみにしていた屋上遊園地でのイベントの開催日が晴れていた時、大喜びではしゃぎまわった記憶を覚えているのは、人としてとても大切なことだと思えるのです。