全球団勝利 | 女装男子かなこのブログ

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1月11日、埼玉西武ライオンズは、国内フリーエージェント権を行使して福岡ソフトバンクホークスに移籍した山川穂高選手の人的補償として、甲斐野央投手を獲得しました。


その前に、日刊スポーツのインターネット版は、「【西武】山川穂高の人的補償に和田毅指名へ 近日中に発表 ソフトバンクの顔が衝撃の移籍」と報じていました。


完全に先走った形ですが、正式発表の前に情報が漏れることは、マスメディアとして絶対にあってはならないことです。


この補償制度については、いろいろ賛否があります。


もし、和田毅投手が西武に移籍し、福岡ソフトバンクホークスを相手に投げて白星を挙げれば、現行12球団のすべてから勝利となっていました。


それに加え、和田投手は、プロ1年目と2年目の2003年と2004年に大阪近鉄バファローズからも白星を挙げています。


和田投手は2004年に消滅した大阪近鉄バファローズから白星を挙げた、最後の現役投手です。


日本のプロ野球では、これまで全球団勝利を挙げた投手は20人います。


1950年からの2リーグ制後、2005年に交流戦が始まるまでは、初めて達成した野村収投手(1983年5月15日大洋戦で達成)のほか、古賀正明投手(1983年10月4日巨人戦で達成)武田一浩投手(2002年5月7日中日戦で達成)の3人だけという極めて珍しい記録でした。


交流戦が開始されてからは以前に比べて達成されやすくなったとはいえ、それでも長いプロ野球の歴史の中では200勝投手(24人)よりも少ない、めったにお目にかかれない記録といえます。


1983年5月15日 野村収(大洋~ロッテ~日本ハム~大洋~阪神/通算121勝)


1983年10月4日 古賀正明(太平洋・クラウン~ロッテ~巨人~大洋/通算38勝)


2002年5月7日  武田一浩(日本ハム~ダイエー~中日~巨人/通算89勝)


2005年8月20日 門倉健(中日~近鉄~横浜~巨人/通算76勝)※交流戦実施後初、近鉄戦の登板なし


2006年3月29日 吉井理人(近鉄~ヤクルト~オリックス~ロッテ/通算89勝)※近鉄戦の勝利なし


2007年7月24日 工藤公康(西武~ダイエー~巨人~横浜/通算224勝)※両リーグで2球団ずつに所属したが、交流戦とは無関係に達成


2009年7月14日 久保康友(ロッテ~阪神~DeNA/通算97勝)※近鉄戦の勝利なし


2010年5月3日  藤井秀悟(ヤクルト~日本ハム~巨人~DeNA/通算83勝)※近鉄戦の登板なし


2010年5月19日 石井一久(ヤクルト~西武/通算143勝)※近鉄戦の登板なし


2012年7月27日 杉内俊哉(ダイエー・ソフトバンク~巨人/通算142勝)


2012年8月14日 セス・グライシンガー(ヤクルト~巨人~ロッテ/通算64勝)


2013年5月20日 木佐貫洋(巨人~オリックス~日本ハム/通算62勝)


2014年4月14日 涌井秀章(西武~ロッテ~楽天中日/現役)※同一リーグで初の達成


2014年4月16日 寺原隼人(ダイエー・ソフトバンク~横浜~オリックス~ソフトバンク~ヤクルト/通算73勝)


2014年4月26日 大竹寛(広島~巨人/通算102勝)


2014年6月9日  ジェイソン・スタンリッジ(ソフトバンク~阪神~ソフトバンク~ロッテ/通算75勝)


2014年6月21日 林昌範(巨人~日本ハム~DeNA/通算22勝)


2019年4月18日 金子千尋(オリックス~日本ハム/通算130勝)


2022年6月9日 岸孝之(西武~楽天/現役)


2023年6月14日 西勇輝(オリックス~阪神/現役)


(太字は達成時の所属球団)


20人の中で通算勝利数が最も多かったのは工藤投手の224勝で、以下、涌井投手159勝(2023年終了時)、岸投手158勝(2023年終了時)、石井投手143勝(日本球界のみ)、杉内投手142勝と続いています。


これだけの数の勝利をマークしていれば全球団制覇もあり得ると納得できるが、逆に最も少ないのは林投手の22勝。


DeNA時代の2014年6月14日西武戦(横浜スタジアム)にリリーフで登板、1/3回を無失点に抑えて勝利投手になり、史上17人目の全球団勝利投手になったが、その時通算20勝目。


中継ぎ、抑えが中心だったが、何とも無駄のない“効率的な達成”でした。


これら20人のうち、現行12球団と大阪近鉄の13球団のすべてから白星は、工藤公康投手、杉内俊哉投手、寺原隼人投手の3人しか記録していません。


それぞれの13球団目は、工藤投手が巨人(2007年7月24日/通算218勝目)、杉内投手が広島(2012年7月27日/通算113勝目)、寺原投手は楽天(2014年4月16日/通算60勝目)でした。


今後、和田投手が移籍しない限り、この人数が増えることはありません。


近鉄球団は2004年に消滅したからです。


現役最多勝利の石川雅規投手(ヤクルト)は、2002年からヤクルトでプレー、11球団から白星を挙げているが、そのなかに近鉄は含まれていません。


交流戦が始まる前で近鉄戦の登板が一度もなかったからです 。


日本のプロ野球で、全球団勝利の記録が注目されるようになったのは、1978年に渡辺秀武投手が日本ハムからロッテに移籍し、すでにその時点で日本ハムを除く当時の日本プロ野球11球団から白星を挙げており、プロ野球史上初の全球団勝利を達成するのではないかと「週刊ベースボール」の誌上で取り上げられたのが最初とみられます。


しかし、日本ハムから白星を上げることができず、その翌年からは日本ハムとの対戦がない広島に移籍、そのまま引退まで在籍したため、達成できませんでした。


江夏豊投手(阪神~南海~広島~日本ハム~西武)は通算で206勝もマークしていながら、あと1球団から白星を上げられず全球団勝利を逃した投手の一人です。


キャリア途中で先発からリリーフに回ったこともあって古巣の阪神から勝ち星を挙げることができず、全球団勝利を逃しています。


江夏投手の現役当時は交流戦がなかったため、1978年~80年の3年間在籍した広島時代に阪神から勝っていれば、史上唯一の全球団勝利&敗戦&セーブを挙げたことになっていました。


しかし、この3年間に登板した阪神戦は全て敗戦もしくは引き分けで勝ち星を得ることはできなかっただけに、大いに悔やまれます。


なお、「自らが在籍している間に全球団から勝ち星を挙げる」という条件のため、この20人には入ってこないが、史上最も多い15球団で勝利投手となったのが緒方俊明投手(巨人~西日本~西鉄など/通算53勝)とヴィクトル・スタルヒン投手(巨人~パシフィック~金星・大映~高橋・トンボ/通算303勝)の2人です。


緒方投手は1年間だけ在籍した西日本パイレーツが消滅、スタルヒン投手は最後に在籍したトンボ(高橋)ユニオンズが消滅したため、全球団勝利とはなりませんでした。


スタルヒン投手が在籍したパシフィック(後の松竹ロビンス)、大映スターズも球団が消滅しており、現存しません。


球団数が増えない限り破られることのない記録です。


さて、全球団で敗戦投手になったもう1人、杉内投手にも貴重な記録がありました。


巨人時代の2013年5月28日ソフトバンク戦(東京ドーム)に先発した杉内投手は7回5失点で敗戦投手になり、この結果、江夏投手を上回り近鉄を含めた13球団で敗戦投手となりました。


全球団で敗戦投手は決して不名誉な記録ではありません。


長い期間、第一線で活躍しなければ達成できないからです。


今、巨人で投手コーチになっている杉内氏も胸を張っていいでしょう。


現役の西勇輝投手も全球団敗戦を記録しています。


アメリカ大リーグでは、21人の投手が全30球団勝利を達成しているが、球団数が多いのに加え、交流戦の試合数が少ないので全球団勝利を達成するのはかなり困難です。


一方、韓国・台湾のプロ野球は1リーグで球団数が少ないので、全球団勝利の達成は容易です。