冠二郎さん死去 | 女装男子かなこのブログ

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「旅の終りに」「炎」などのヒット曲で知られる歌手の冠二郎(かんむり・じろう、本名・堀口義弘=ほりぐち・よしひろ)さんが1月1日、心不全のため、埼玉県内の病院で死去しました。


79歳でした。


所属レコード会社の日本コロムビアが発表しました。


パワフルな歌声とユーモアあふれるキャラクターで歌謡界の人気者となった冠さんが、新たな年の元日にこの世を去っていました。


関係者によると、冠さんは2022年秋に体調不良で入院して以降、入退院を繰り返していました。


そして1日午後4時24分、妻とマネジャーに見守られる中、静かに息を引き取ったというそうです。


入院の以前からも心臓病や糖尿病などの疾患を抱えており、2018年には虚血性心不全をわずらったことを告白していました。


2019年にはインフルエンザ、肺炎、虚血性心不全を発症し手術。


一命は取り留めたが、退院後に転倒して腰2か所を圧迫骨折。


体力も衰え、引退も考えたが、妻と二人三脚で復帰。


2020年に夫婦初デュエット曲「あなたは男でしょう」をリリースしました。


冠二郎さんは1949年4月23日生まれ、埼玉県秩父市出身。


1967年に「命ひとつ」でデビューを果たしたものの、ヒットには恵まれず、長い“下積み”の期間を過ごしました。


1976年にはレーベルを日本コロムビアに移籍しました。


そして1977年11月、歌手生活10周年記念曲として発売した17枚目のシングル「旅の終りに」がミリオンヒットを記録し、一躍脚光を浴びました。


「旅の終りに」はテレビドラマ「海峡物語」(テレビ朝日)の挿入歌としてヒットし、苦節約10年の努力がようやく報われました。


「海峡物語」は五木寛之さんの小説が原作で、「旅の終りに」は五木さんが立原岬名義で作詞しました。


かなりの酒豪で二日酔いでステージに立つこともあったが、1989年の「NHK紅白歌合戦」に初出場が有力視されていながら落選したことを機に禁酒を決意。


1991年には「酒場」が日本有線大賞の優秀音楽賞を受賞し、同年の「NHK紅白歌合戦」に初出場しました。


翌1992年にリリースした「炎」は、サビの部分での「アイ・アイ・アイライク演歌」と英語が用いられた歌詞や力強い振り付けが話題になり、「アクション演歌の旗手」と称されて人気を博し、バラエティー番組などにも進出しました。


話題性にも事欠かず、2015年には5歳の年齢サバ読みが発覚。


公称65歳だったが、実際は70歳でした。


デビュー時に「若い方が受けがいい」と周囲に勧められたからで、発覚後は「お若いですねと言われてついうれしくなって…」と素直に平謝りしました。


翌2016年、72歳で31歳下の歯科衛生士の女性(当時41歳)と結婚しました。


出会いから2カ月のスピード婚でお互いに初婚でした。


「昨年、年がバレたことが結婚につながりました。すべてにうそがつけなくなったから」と報告して笑いを誘っていました。


結婚後も取材の度に「寝るのもお風呂も一緒。買い物も一緒で必ず手をつないでいます」「一緒になるために生まれてきたという宿命を感じています」など、のろけ話を連発。


いつもラブラブモード全開でした。


ダジャレも得意で「すばらしい。本当に“冠”無量です」と真顔で話したり、決め言葉「セイヤー」を何度も連呼したりとサービス精神が旺盛でした。


さらには、かつら疑惑もありました。


徳光和夫さんは13日のラジオ番組の中で冠二郎さんをしのんでいたが、年齢詐称やかつら疑惑について触れ、「髪の毛疑惑を最初に言ったのは私ですからね。つかんだら本当にそうだったっていう。“本物ですよ”って言ってたら本当に本物だったっていうことがありました。年齢もちょっと詐称してたりしていましたけど、それを正直に言うところがありました」と過去のやり取りを説明。


「愛すべき人柄でしたね。本当に残念でした」と話しました。


愛する妻と歌の両輪で歌手人生をおう歌した人生でした。