幻のベストテン番組 | 女装男子かなこのブログ

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今もなお、多くの伝説が語り継がれている音楽ランキング番組「ザ・ベストテン」(TBS)。


これとほぼ同時期にもう一つ、音楽ランキング番組が放送されていました。


1979年11月2日、「ビッグベストテン」(フジテレビ)の放送が開始されました。


もう一度言います。


「ビッグベストテン」です。


「ザ・ベストテン」ではありません。


「ビッグベストテン」は、当時ニッポン放送のアナウンサーだった高島秀武さんと、女優の丘みつ子さんの司会で、1979年11月2日にフジテレビ系列で放送開始しました。


毎週金曜夜8時に放送していたが、僅か5か月で終了しているので、記憶にない人も多いでしょう。


そういった意味では、幻の歌番組と言えそうです。


番組のつくりは、当時一世を風靡していた歌番組の「ザ・ベストテン」を意識した構成となっていました。


なにしろ、オープニングの挨拶が「黒柳さーん見てますかー?」「久米さーん見てますかー?」でした。


「ザ・ベストテン」の事を本家と呼び、「アチラのベストテン」としてフリップで紹介したり、もう、番組全体が醸し出す、B級グルメ感というか、下請け感というのがありました。


演出面も、例えば、


■ 「ザ・ベストテン」の回転ドアに対し、「ビッグベストテン」は光のトンネル。
■ 「ザ・ベストテン」のパタパタ回転するランキングボードに対し、「ビッグベストテン」は点字電光掲示板風ボード。
■ 「ザ・ベストテン」は歌手が10位から順に登場するのに対し、「ビッグベストテン」はオープニングから全員登場。


このような具合で、どうにかして「ザ・ベストテン」に対して差別化を図ろうと腐心していた様子が見て取れました。


「ザ・ベストテン」のランキングとの大きな違いは、有線放送のポイントが加味されていないことでした。


フジテレビ系列は全てテレビ専業でテレビ・ラジオ兼営局がないため、ラジオのポイントは「不二家歌謡ベストテン」(ニッポン放送)のものを使用し、ハガキリクエストについては「ファン投票」と呼んでいました。


ランキングの発表時には、電光掲示板風のマグサインボードに「第○位 XXXX点 <曲名> <歌手名> Big Best 10(番組タイトルロゴ)」と1曲ずつ大きく表示していました。


後に、「レコード○位 ラジオ○位 ファン○位」の3要素のランキングも発表するようになりました。


このランキングは、当初は高嶋さんが早口で読み上げていました。


初回で第1位となった曲は桑名正博さん(故人)の「セクシャルバイオレットNo.1」であるが、当の桑名さんは千葉大学の学園祭のコンサート終了後、スタジオに向かう途中に高速道路で渋滞に巻き込まれ、スタジオ入りしたのは本番終了数分前になってからであるため、この回では結局歌うことができませんでした。


放送から40年経った今、この番組に関する情報は極めて少ないです。


そこで、新聞のテレビ欄を手がかりに、当時の様子を偲んでみましょう。


■ 1979年11月23日「初公開!さだまさし12分間生熱唱」
当時シングルチャート首位を独走中であった、演奏時間12分超の曲、「親父の一番長い日」をフルコーラスで披露するという、本家の「ザ・ベストテン」でも成し得なかった企画。


制作側も気合が入っていた放送4週目のこのあたりが、ビッグベストテンのピークだった!?


なお、この回のみ放送時間を30分拡大して午後7時30分開始となっていました。


■ 1980年2月2日
「百恵の2世はこんな顔! / クリキンと小林幸子の関係?」
このあたりからだんだん下世話な要素が入ってきているが、わざわざ見出しにするほどでも…。


■ 1980年2月15日
「五木も空飛ぶTOKIO !!」
これは何でしょう(笑)。

五木ひろしがパラシュートをつけて空を飛んだのだろうか? どなたか覚えている人いますか?


■ 1980年2月29日
「まにあうか郷!カー電話から絶叫」
これも、そこはかとなく予定調和臭が漂う見出し(笑)。

自動車電話は、サービスインした当時はカー電話と呼んでいたのか!?


シングルチャートのベスト10に一度も入れず、「ザ・ベストテン」には一度もランクインしなかった、バラクーダーの「日本全国酒飲み音頭」が何故かしょっちゅうランクインしてました。


そんな「ビッグベストテン」だが、放送日が「ザ・ベストテン」の翌日という曜日の並びも災いしたのか、徐々にこの番組に出演する歌手は減っていきました。


そして、“ピンチヒッター” との名目で、本人に成り代わって歌唱するお笑い芸人などで、番組の尺が埋められていくようになっていきます。


例えば、郷ひろみさんの代打として若人あきら(現在の我修院達也)さんが「セクシー・ユー」を歌唱したりしていました。


このような状況が長く続くはずもありませんでした。


視聴率が5~6%と低迷、加えて同じフジテレビの音楽番組「夜のヒットスタジオ」に比べて演出面でも大きく見劣りしたため、ついに1980年3月28日に最終回を迎え、短い5か月の歴史に幕を閉じることになりました。


もっとも、金曜夜8時という放送時間は、当時は「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日)「太陽にほえろ!」(日テレ)「3年B組金八先生」(TBS)が放映されている超激戦区でした。


1980年のゴールデンタイムを代表する “死の組” に勝ち残るのは厳しかったです。


だが、マニアの間ではすっかり黒歴史扱いされているこの番組も、後の、「ひょうきんベストテン」(「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)のコーナー)」や、「THE 夜もヒッパレ」(日テレ)「UTAGE!」(TBS)のフォーマットになった側面は多分にあると思われます。


そんな「ビッグベストテン」、放送から40年経った今、改めて評価しても良いのではないだろうか。


何にでも光があれば影があります。


「ビッグベストテン」… それは、日本の歌番組がいちばん華やかだった頃に、裏通りに秘かに咲いた、“時代の徒花” だったのかもしれません。