プロレス中継70周年 | 女装男子かなこのブログ

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日本テレビは昨年12月11日、東京・汐留の同局で2月9日に後楽園ホールでプロレス大会「プロレス中継 70年史 THE 日テレプロレス」を開催することを発表しました。


1953年8月に日本初の民放テレビ局として開局した日本テレビは、翌年となる1954年2月19日に蔵前国技館で行われた日本初のプロレス国際試合「力道山、木村政彦対シャープ兄弟」の一戦を生中継しました。


NHKと共に中継したこの一戦は、日本初のプロレス中継で新橋駅前などに設置した街頭テレビで国民は熱狂し、テレビの普及、さらには国民的なプロレス人気を沸騰させました。


以後、同局は、不定期にプロレスを中継し1958年8月から力道山の「日本プロレス」を金曜夜8時に中継。


中でも1963年5月24日に東京体育館で行われたWWAヘビー級王者ザ・デストロイヤーに力道山が挑戦した一戦の生中継は、当時史上最高、現在も歴代4位、さらに同局史上で最高となる平均視聴率64.0%(ビデオリサーチ調べ)の金字塔を打ち立てました。


さらに1972年10月からはジャイアント馬場さん(故人)が旗揚げした「全日本プロレス」を毎週土曜夜8時(後に時間帯は変更)に放送するなど、2009年3月に終了した「プロレスリング・ノア中継」まで地上波で55年間にわたり放送してきました。


2月19日は、このテレビ史、プロレス史において歴史的な一戦から70周年を迎えます。


この節目を記念し同局では、2月9日に後楽園で歴代の名勝負の数々をアーカイブで振り返り、さらに現在のトップレスラーがリアルマッチを行うかつてないハイブリッドなプロレス大会イベントを開催します。


イベントには、渕正信、大仁田厚、川田利明ら日テレプロレスにゆかりのあるレスラー、徳光和夫さんに福澤朗さんら実況を務めたアナウンサーらがゲスト参加。


試合は全日本、ノアの現役レスラーが参戦。


このイベントは当日、CS放送日テレジータスで生放送されます。


さらに、イベント後に地上波での放送(2月18日深夜(19日午前)1時50分から、関東ローカル)も決定。


2月19日は「プロレスの日」に制定されており、まさにプロレス放送が本格的に始まった記念日での地上波放送となります。


実況を日テレアナウンサーが務めます。


記者会見には、このイベントに立会人として参加する武藤敬司氏、小橋建太氏、さらにプロレスリング・ノアの丸藤正道、全日本プロレスの宮原健斗が出席しました。


会見の冒頭でイベントを企画した同局執行役員の高橋利之氏は「日本テレビ70周年はプロレス中継の70周年。プロレスのイベントとしての価値、コンテンツとしての価値を改めて我々が考えて今回は懐かしい映像とリアルな試合をハイブリッドで組み合わせたイベントを企画して楽しく意義のある大会になると思います」と話しました。


小橋さんは「日テレプロレスの立会人をさせてもらえることですごく光栄です」と明かし、日テレのプロレス中継で一番最初に見た試合を「ジャンボ鶴田対ミル・マスカラス。それを見てプロレスラーになりたいと思いました」と振り返っていました。


武藤さんは立会人を務めることに「プロレスに恩返しができればいいと思っています」と明かしていた。一方で「何をしたらいいかわからないので今から勉強します」と笑わせていました。


日本プロレスの父・力道山が亡くなったのが1963年(昭和38年)の12月15日。


稀代の英雄は酒席のいざこざから腹を刺され、入院中に不慮の死を遂げてしまいました。


日本中に衝撃が走った大事件から、もう60年になります。


力道山は日本にプロレスを紹介し、自ら大車輪の大暴れ。


プロレスをプロ野球、大相撲と並ぶ人気スポーツに育てあげました。


戦後からの復興を目指す世相と相まって外国人選手を空手チョップでなぎ倒すファイトは、多くの日本人を勇気づけました。


現在の日本の礎となった力道山の功績は語りつくせないものがあります。


当日は日本テレビが所蔵するプロレス映像が披露されるが、力道山が大暴れする名シーンも含まれています。


シャープ兄弟とのタッグマッチ、ルー・テーズやザ・デストロイヤーらとの死闘は、昭和史を語る上で欠かせない貴重な資料でもあります。


一般家庭にテレビが普及する前、街頭に設置されたテレビには、力道山の勇姿が映し出されました。


黒山の人だかり。


そしてプロレス中継を目当てに、そば屋のテレビに客が押しかけ、そば代も跳ね上がりました。


戦後の復興の精神的支柱が外国人選手をやっつける力道山だったのです。


日本プロレス時代の若き日のアントニオ猪木も飛び出すはず。


ジャイアント馬場と猪木のBI砲の貴重な連係プレーも見られます。


1972年からはジャイアント馬場が設立した全日本プロレスを中継。


テリー・ファンクやミル・マスカラスが外国人ながらファンのハートをガッチリつかんだヒーローや、悪党人気を誇ったアブドーラ・ザ・ブッチャーらのファイトもリストアップされています。


オールドファンにとってはまさに涙ものの映像です。


平成になると三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明の「四天王プロレス」が人気を呼びました。


ちなみに「四天王」と初めて称したのは、1993年5月21日、北海道・札幌中島体育センターの決戦を伝えるスポーツ紙でした。


三沢がスタン・ハンセンを下し三冠王座を防衛し、川田がスティーブ・ウイリアムスを、小橋がテリー・ゴディを、田上がダニー・スパイビーを揃って下しています。


馬場亡き後は、三沢光晴が立ち上げたノアをオンエアした日テレだが、今現在はプロレス中継から引いています。


力道山から令和のプロレスへ。


選手もファイトスタイルも変わりました。


だが、変わらない闘いの熱さは今も受け継がれています。