1978年、特撮不毛期を救ったヒーロー | 女装男子かなこのブログ

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見てない人も知っている有名特撮シリーズも、中断された時期がありました。


「ウルトラマン」や「仮面ライダー」「スーパー戦隊」といった特撮ヒーローものは、今でこそ何十年にも渡って安定的に番組を供給していますが、ずっと放送し続けられていたわけではありません。


特撮の黎明期は玩具を商品化する「マーチャンダイジング」などの手法が確立せず、さまざまな事情も重なって番組が制作されない時期もありました。


そこで今回は、「空白期」の子供たちの体験と、制作されなかった「大人の事情」を振り返ります。


1970年代後半、特撮番組の制作環境は不安定でした。


視聴率が低かったり、玩具の売れ行きが悪かったりすると、すぐ打ち切りになります。


どちらが低くても番組が成り立たなかったのです。


1971年から始まった「仮面ライダー」シリーズは、1975年12月27日の5作目「仮面ライダーストロンガー」(毎日放送)の最終回で第1期シリーズに幕を下ろします。


「仮面ライダーアマゾン」まではテレビ朝日系列で放送していたが、関東と関西で放映局系列が違うことを解消してTBS系列で放送開始した「ストロンガー」でしたが、時間帯が変わったせいか視聴率は下降気味で、シリーズはいったん終了されることとなりました。


他にも特撮ヒーローとして外せない「ウルトラマン」シリーズですが、実は1974年の「ウルトラマンレオ」(TBS)も制作費を回収できずに赤字となり、1971年から続いた「帰ってきたウルトラマン」からの「昭和第2期ウルトラシリーズ」も終わりを迎えました。


また1973年~74年の第1次オイルショックのあおりを受けて物価が急激に上がったこともあり、より番組制作のハードルを高くしたといえるでしょう。


ウルトラシリーズを制作する円谷プロは、製作費の高いウルトラマンの制作を中断し、等身大の特撮ヒーローである「プロレスの星アステカイザー」(1976年、テレビ朝日)や、アニメと特撮を融合した「恐竜探険隊ボーンフリー」(1976年、テレビ朝日)などを手がけますが、いずれもあまり話題にならずに終了します。


「プロレスの星アステカイザー」は新日本プロレスが制作に協力し、アントニオ猪木さん(故人)が本人役で出演したことがありました。


しかし、復活の兆しはウルトラマンと仮面ライダーとともにあり、1970年代からは再放送や雑誌の企画で特撮のリバイバルブームが巻き起こります。


「ウルトラマン」シリーズと「仮面ライダー」シリーズがともに再評価され、ウルトラマンは1979年のアニメ「ザ☆ウルトラマン」(TBS)に続き、1980年の特撮ドラマ「ウルトラマン80」(TBS)、仮面ライダーはシリーズ1作目をリメイクした1979年「仮面ライダー」(スカイライダー)(毎日放送)として復活しました。


「ザ☆ウルトラマン」はウルトラマンのテレビシリーズで唯一のアニメだったが、円谷プロにはアニメ制作の設備や技術、人材がなかったため、サンライズに制作を委託しました。


というのも、前記の「恐竜探険隊ボーンフリー」のアニメパートの制作を手がけたのがサンライズだったからです。


その後、仮面ライダーやウルトラマンは中断と復活を繰り返していましたが、スーパー戦隊シリーズに習ったマーチャンダイジングのシステムを確立すると、仮面ライダーは2000年「仮面ライダークウガ」(テレビ朝日)、ウルトラマンは2013年「ウルトラマンギンガ」(テレビ東京)から継続して毎年制作されています。


「仮面ライダークウガ」から始まった平成仮面ライダーは放送局系列がテレビ朝日系に戻りました。


特撮ヒーローは撮影のために大きな予算が必要であることがわかりますが、シリーズの人気によって用意される額が左右されるようです。


東映のプロデューサーである鈴木武幸さんの著書『夢を追い続ける男』(講談社)によると、1975年10月放送の「アクマイザー3」のスポンサーから提示される予算は、同年4月から放送された「仮面ライダーストロンガー」の予算の半分です。


俳優の出演料を節約するため、苦肉の策で人間が変身しないヒーローを考案したものの、結果的には視聴率を獲得することはできませんでした。


また「アクマイザー3」の続編である1976年放送の「超神ビビューン」では、人間が変身する設定に戻しても、人気の回復には至りません。


1977年4月放送のSFアニメ「氷河戦士ガイスラッガー」が視聴率低迷で打ち切りになり、急遽制作された特撮テレビ番組「冒険ファミリー ここは惑星0番地」は「ビビューン」の時よりも予算が削られて、「ガイスラッガー」と同様に不評のために20話で打ち切りとなります。


「アクマイザー3」「超神ビビューン」「氷河戦士ガイスラッガー」「冒険ファミリー ここは惑星0番地」はいずれも放送時間がテレビ朝日系火曜夜7時で、裏番組に「サザエさん」(再生)(フジテレビ)があったのだが、再生番組に視聴率で負けてしまうという屈辱的な結果でした。


また、1977年4月から始まった、当時人気絶頂だったザ・ドリフターズが声優として出演した人形劇「飛べ!孫悟空」(TBS)も強力な裏番組でした。


「超神ビビューン」の後番組がアニメの「氷河戦士ガイスラッガー」なった理由は、当初後番組に予定されていた「快傑ズバット」が「忍者キャプター」の打ち切りで放送局がテレビ朝日から東京12チャンネル(現在のテレビ東京)に急きょ変更されたからです。


その他、1974年「がんばれ!!ロボコン」(テレビ朝日)、1975年「秘密戦隊ゴレンジャー」(テレビ朝日)は幸い視聴率も玩具の売上も好調で、放送期間も延長されて大好評のうちに終了しました。


ところが「ゴレンジャー」に続く1977年「ジャッカー電撃隊」(テレビ朝日)、ロボコンに続く1977年「ロボット110番」(テレビ朝日)の後番組が対象年齢を上げたために視聴者に受け入れられず、2作ともに打ち切りになってしまいます。


後番組は同じく石ノ森章太郎先生原作の東映ドラマですが、それぞれ1978年に放送された「透明ドリちゃん」「がんばれ!レッドビッキーズ」(テレビ朝日)と、女の子が主人公の作品が制作されました。


「がんばれ!レッドビッキーズ」は当時人気アイドルだった林寛子さんが主演しました。


しかし、ドラマ制作の低予算化の流れを止める動きが起こります。


それが1978年に日本で公開された映画「スター・ウォーズ」でした。


当時の海外映画は日本の公開にはタイムラグがあり、東映の製作陣は「スター・ウォーズ」の日本公開前にいち早く便乗作品に乗り出します。


それが1978年に公開された深作欣二監督の映画「宇宙からのメッセージ」でした。


同作は4月に映画が公開された後に、「透明ドリちゃん」の後番組として映画版の造形物や映像を受け継いだ「宇宙からのメッセージ 銀河大戦」が7月から放送されます。


しかし、期待の割に視聴率は平均6%台とふるいませんでした。


1971年の「仮面ライダー」から続いていた東映特撮の放送枠が終了し、児童文学が原作でわんぱく少年の青春の日々を描いたドラマ「俺はあばれはっちゃく」が1979年から始まって以降、同シリーズが放送されるようになりました。


特撮ヒーロー番組の存在が途切れてしまいましたが、新番組には同年代の子供が活躍するドラマやアニメが放送されていたので、子供たちはヒーローが見られなくても取り立てて喪失感を感じていなかったようです。


前述の「仮面ライダー」から始まった東映特撮枠はテレビ朝日系土曜夜7時30分から放送されていたが、1975年4月から関西地区の系列局となった朝日放送では、関西ローカル番組放送のため土曜夜6時から放送されていました。


また、メ~テレ、九州朝日放送もやはりローカル番組のため土曜夜6時から放送されていました。


特撮ヒーローの火が消えかかっていたなか、唯一の希望が東京12チャンネルで1978年から放送されていた東映版「スパイダーマン」でした。


当時、東映とアメリカンコミックの出版社「マーベル・コミック」が、提携関係にあったために実現した企画です。


キャラクターこそ「スパイダーマン」そのものですが、主人公は科学好きの高校生からバイクのレーサーに変更され、宇宙人から能力を与えられたり、変身装置を使って変身したり、巨大ロボ「レオパルドン」にスパイダーマンが乗り込んだりするなど、原作にはない要素が満載でした。


販売された「レオパルドン」のおもちゃの売上が好調で、土曜の午後6時に復活したスーパー戦隊の枠でマーベルと提携した1979年放送の「バトルフィーバーJ」(テレビ朝日)でも、今までのスーパー戦隊にはなかった巨大ロボ「バトルフィーバーロボ」が登場します。


ゴールデンタイムから時間がずれたことで、当然視聴率は下がりますが、ロボットのおもちゃの売上が安定することで、長期的にスポンサー契約ができることになりました。


そのためにスーパー戦隊は時間帯が変わっても、長期シリーズとして存続することができたのです。


スーパー戦隊シリーズに加え、1982年からはメタルヒーローシリーズの1作目「宇宙刑事ギャバン」(テレビ朝日)が放映されました。


メタルヒーローシリーズ終了後は平成になって仮面ライダーシリーズが復活し、現在に至ります。


東映発の特撮ヒーローはマーチャンダイジングを確立したことで、現在も受け継がれるシリーズになっています。


特撮ファンにとっては70年代後半は寂しい時期でしたが、まさかのスパイダーマンに救われ、その後の定番展開も生まれるという転換期でもありました。