「秘密戦隊ゴレンジャー」誕生秘話 | 女装男子かなこのブログ

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1975年の4月から放送された「仮面ライダーストロンガー」(毎日放送)と「秘密戦隊ゴレンジャー」(NET(日本教育テレビ)、現在のテレビ朝日、以下同じ)は、同じ「東映×石ノ森章太郎(当時石森章太郎)さん」のコラボで生み出された特撮番組でした。


実は「ゴレンジャー」は「仮面ライダー」がチームで戦うという、「ストロンガー」の当初の企画をアレンジしたものだったのです。


スーパー戦隊の礎になった「ゴレンジャー」誕生のきっかけは、意外なものでした。


それには、大阪のテレビの複雑な歴史が絡んでいました。


「ストロンガー」の前作1974年「仮面ライダーアマゾン」は高視聴率だったにもかかわらず、半年で放送の終了が決定します。


当時、毎日新聞資本である大阪の毎日放送制作の全国ネット番組がNET系列で放送され、逆に朝日新聞資本の大阪の朝日放送制作の全国ネット番組がTBS系列で放送されるという「腸捻転」と呼ばれる状態でした。


毎日放送は1958年12月のテレビ放送開始にあたってTBS(当時はラジオ東京テレビ)とネットを組む予定だったが、TBSはすでに大阪テレビ(1956年開局)とネットを組んでおり、「そう簡単にネットは動かせない」と拒否され、さらにフジテレビ(1958年当時はまだ開局していなかった)とのネットを組むことも関西テレビとの関係を結んだため断念、やむなくNETとネットを組むことになりテレビ放送開始も予定より3か月遅れました。


1959年6月に大阪テレビは朝日放送と合併しました。


ラジオ局としてスタートした毎日放送も朝日放送もテレビ放送の免許を申請していたが、両者ともに大阪テレビに出資していたので、当局はどちらか一方に大阪テレビとの合併を指示します。


しかし、話し合いではまとまらず、最終的にくじ引きで決められたといわれるが詳しいことははっきりせず、朝日放送を大阪テレビと合併させることは当初の予定通りだったともいわれています。


当時、郵政大臣として放送行政を仕切っていた田中角栄は、朝日放送がTBS系列で毎日放送がテレビ朝日系列になったことを後年悔やんでいたそうです。


そして、1975年3月31日より毎日放送と朝日放送がネットを交換、毎日放送制作の全国ネット番組は本来のキー局であるTBS系列で放送されると決定します。


それにともない人気番組「仮面ライダー」はTBS系に引っ越しすることになり、「アマゾン」に替わる新番組が求められました。


当時、毎日放送制作の全国ネット番組は「仮面ライダーアマゾン」の他にも「アップダウンクイズ」「野生の王国」「ヤングおー!おー!」「八木治郎ショー」「皇室アルバム」「まんが日本昔ばなし」「クイズ・イエスノー」「ちびっこアベック歌合戦」「ジムボタン」がありました。(「ヤングおー!おー!」のみ関東地方はNETではなく東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で放送。理由はNET系列時代の毎日放送は1969年から東京12チャンネルとクロスネットだったため)


ネット交換は単純にテレビ局のネットが入れ替わるというわけではありません。


毎日放送がTBS系列に変更されるにあたっては、「アップダウンクイズ」「野生の王国」「八木治郎ショー」「ヤングおー!おー!」「皇室アルバム」はすんなり移動したが、「まんが日本昔ばなし」は当初から3か月間の予定だったため終了(1976年1月より再開)、「ジムボタン」は放送枠が確保できず終了、「ちびっこアベック歌合戦」は枠移動、「クイズ・イエスノー」はTBSに拒否され終了、同番組のスポンサーからの要望で朝日放送で「パネルクイズ  アタック25」が制作されるなどしました。


 「秘密戦隊ゴレンジャー大全―仮面怪人大百科」(双葉社)の東映の平山亨プロデューサーのインタビューによると、企画段階では「ライダーも5作目になるので大きな変化をつけよう」と、石森さんと話し合ううちに、最初からライダーが5人いて5色に色分けして個性を出す、というアイデアが生まれました。


ところが、毎日放送側から「ヒーローはひとりでなければならない」と言われて断念します。


結局「仮面ライダーストロンガー」は、ひとりのヒーローのままスタートします。


一方で仮面ライダーの放送枠がなくなってしまうことになったNETは、新たな特撮番組の制作を東映に持ちかけました。


そこで、平山さんは「仮面ライダー」で実現できなかった集団ヒーロー番組を練り直しました。


それが「秘密戦隊ゴレンジャー」だったのです。


さらに特撮ばかりに頼らず、スパイアクションやミステリー的な展開を加えるために、変身するのは宇宙人👽️や改造人間、サイボーグではなく、「等身大の生身の人間」の設定になります。


その影響で「仮面ライダー」や「キカイダー」にある、普通の人間ではない宿命に生きる悲壮感がなくなり、番組の雰囲気がより明るく楽しいものになりました。


「スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1975 秘密戦隊ゴレンジャー」(講談社)によれば、平山さんと同じ東映のプロデューサー・吉川進さんは「仮面ライダー」と差別化するため、5人揃って初めて相手を倒せるところをポイントにしたそうです。


そこで5人それぞれの個性があり、特徴に合わせた武器や役割を持たせることになりました。


ひとりひとりの力は怪人よりも弱い設定のおかげで、「仮面ライダー」ではタブーだった武器の使用や、「バリブルーン」や「バリタンク」などの巨大戦闘メカを持っても違和感がなくなりました。


また怪人も親しみのある「仮面怪人」となり、本来特撮を見なかった視聴者も獲得することに成功します。


そして「ゴレンジャー」最大の成果と言っていいのが、女性ヒーローの「モモレンジャー」の存在です。


平山さんは子供たちの「仮面ライダーごっこ」を観察し、女の子はやる役がなくていつも怪人や戦闘員の役をやらされていたことに着目します。


1972年の「ウルトラマンA」(TBS)、同じく1972年の「トリプルファイター」(TBS)など、それまでも変身ヒーローに女性が加わることはありましたが、いずれもあまり支持されないまま終わっています。


集団ヒーロー案が却下された「ストロンガー」では代替案として、初の女性ライダー「電波人間タックル」が誕生しました。


しかし、「ストロンガー」の強さを強調するために、か弱い存在として描かれたまま途中で姿を消してしまいます。


モモレンジャーによって男性ヒーローと対等の立場で戦う女性ヒーローが確立し、以後スーパー戦隊で連綿と受け継がれていきました。


「秘密戦隊ゴレンジャー」の放送時間は、前番組の「仮面ライダーアマゾン」を引き継ぎ土曜夜7時30分でしたが、系列局の朝日放送・名古屋テレビ・九州朝日放送ではローカル番組放送のため土曜夜6時からの先行ネットで放送されました。


「秘密戦隊ゴレンジャー」は好評を博し、1975年4月から1977年3月まで2年間に渡って放送されました。


約50年に渡るスーパー戦隊シリーズの原型のほとんどが第1作で作られていたのです。


一方で「ストロンガー」は「ゴレンジャー」人気と反比例するかのように視聴率が低下し、約5年間続いたライダーシリーズの第1期は「ストロンガー」で幕を下ろしました。


その後、仮面ライダーシリーズは1979年に「仮面ライダー」(スカイライダー)が放送されるまで4年間中断されました。


皮肉にも、変身ブームを生み出した「仮面ライダー」のスタッフが生み出した「ゴレンジャー」がライダー人気を過去のものにしたのです。