実は約半世紀前の1970(昭和45)年に、日本初の万博が開催されたのも大阪でした。
当時、国鉄は臨時列車や団体列車を多数運行して、輸送需要を満たそうとしていました。
しかし、電車や気動車を増備することはコストが高く、閑散期には使わない車両を保有するのは、保守コストがかさむという問題がありました。
こうしたことから、貨物輸送用の機関車で牽引できる客車列車が費用対効果に優れると判断され、1969(昭和44)年より製造されたのが12系客車です。
同時期に製造されていたキハ58系急行形気動車は、普通車ボックスシートの座席間隔が1470mm、165系急行形電車では1460mmでしたが、12系客車では1580mmに広げています。
座席形状も人間工学を考慮した改良を行い、座り心地をやや向上させています。
窓際に設けられた小さなテーブルには栓抜きが付いています。
このテーブルで瓶ビールや瓶コーラの栓を開けたことがある人も、めっきり減っていることでしょう。
また、側窓が上段下降・下段上昇式のユニット窓になったほか、冷房や空気ばね台車を装備し、同時期の急行形電車や気動車よりも居住性では勝っていました(キハ65形とは同等)。
速度性能も新開発のCL形応荷重機構付き自動ブレーキ装置を採用するなどし、従来の客車やキハ58系より15km/h速い、165・457系急行形電車と同等の最高速度110km/hでの走行を可能としました(加減速度では電車が勝る)。
特急用客車の20系ですら、製造当初は95km/hで、1968(昭和43)年にブレーキ強化で110km/h対応したばかり、しかも牽引する機関車に元空気ダメ管やブレーキ増圧装置、電磁ブレーキ制御装置の設置が必要ということもあり、走行性能だけでなく汎用性でも優れていたといえます。
また、編成端のスハフ12形床下にディーゼル発電機を取り付けることで、電源車を連結せずとも冷暖房装置の電源を確保できました。
なお、そこで搭載されたDMF15HS-Gエンジン(180馬力)は、当初自車を含めて5両まで給電できましたが、量産車では230馬力のものへ換装することで、自車を含めて6両まで給電可能としました。
ちなみに、本系列のエンジンはキハ40系気動車の走行用エンジンとしても採用されています。
なお、1977(昭和52)年度に製造されたスハフ12形100番台では、エンジンはDMF15HZ-G形(270馬力)に換装されています。
室内灯や放送装置、ドアエンジンの電源はディーゼル発電機ではなく車軸発電機の電源を使用しています。
旧型客車との連結を考慮し、蒸気暖房の配管も通されています。
またJR磐越西線の臨時快速「SLばんえつ物語」用12系は、2020年に発電用エンジンをIHI原動機製のエンジンに換装していますが、これは青色となっていて識別できます。
12系の車体は青20号(新幹線ブルー)に塗られ、クリーム10号(アイボリーホワイト)の帯が巻かれますが、これは14・24系特急形客車にも引き継がれます。
3形式603両が製造された12系ですが、改良された本系列の居住性をもってしても、ボックスシートの優等車両という存在が時代遅れとなりつつあり、1978(昭和53)年に製造を終了しました。
12系客車は団体臨時列車のほか、「きたぐに」(大阪~青森)「ちくま」(大阪~長野)「だいせん」(大阪~出雲市)「かいもん」(門司港~西鹿児島)「日南」(博多~宮崎)「八甲田」(上野~青森)「津軽」(上野~青森、奥羽本線経由)といった定期急行列車でも使われ、夜行急行では寝台車に10系客車、12系併結用に改造された20系客車、14系客車、24系客車を連結していました。
それから、既存の12系はどんどん改造されていきます。
1980(昭和55)年より、早くもお座敷客車「海編成」「なごやか」に改造される車両が出るなど、バリエーションが増加し始めます。
さらに1987(昭和62)年までに、合計80両がお座敷列車「カヌ座」「きのくに」「旅路」「いこい」などへ改造。
「旅路」や「あすか」などには展望室も設けられました。
なお、碓氷峠鉄道文化むら(群馬県安中市)には「くつろぎ」の2両が保存されています。
また、欧風客車ブームを受け合計26両が「オリエントサルーン」「スーパーエクスプレスレインボー」「ユーロライナー」「ゆうゆうサロン岡山」などへと改造されました。
特に「ユーロライナー」は個室寝台も設けており、専用の機関車に牽引されて長距離運用でも活躍しました。
他方、1984(昭和59)年からは、通勤・通学用に86両がセミロングシート化された1000・2000番台などに改造され、各地の旧型客車や50系客車を置き換えていったことも特筆すべきでしょう。
外観上は白帯がなくなったが、1000番台と2000番台の違いは冷暖房電源の供給方式で、1000番台は自車のディーゼル発電機で供給されるが、2000番台は機関車から供給される方式でした。
国鉄時代は北海道と四国に配置はなかったが、1987年のJR発足時にはJR北海道を除くJR旅客5社に継承されました。
1988(昭和63)年には、JR西日本が山口線の臨時快速「SLやまぐち」用として、レトロ調に改造された12系(現在では大井川鐡道が保有)5両や、夜行列車「ムーンライト高知・松山」用にリクライニングシートを備えた改造車6両(東武鉄道と若桜鉄道が保有)も登場しました。
ほかにもイベント客車用として、「いこい」や「サイエンストレイン エキスポ」、「トロッコファミリー」、「きのくにシーサイド」などに61両が改造されました。
変わったところでは、寝台特急「あさかぜ」(東京~下関)「瀬戸」(東京~高松)のロビーカーに改造された車両(発電用のインバーターとパンタグラフを装備したスハ25形300番台と装備しないオハ25形300番台があった)や、気動車に連結するため駆動用エンジンを持たずして「キ」形式を名乗ったキサハ34やキサロ59が存在しました。
結局、改造された車両は計275両にもなり、603両の半分近くに相当します。
私鉄へも譲渡され、秩父鉄道や東武鉄道、わたらせ渓谷鐡道、樽見鉄道(廃車)、若桜鉄道(未編入)のほか、海外ではフィリピン国鉄やタイ国鉄でも使われています。
特筆すべきは、「SLばんえつ物語」の両端に連結されるスロフ12形102号車とスハフ12形101号車、東武鉄道「SL大樹」に連結されるオハテ12形展望車でしょう。
前者は車体を新潟トランシス製の新車に載せ替えていますし、後者はオープンデッキの展望スペースを設けています。
登場後53年を経過しても、新たなバリエーションが次々登場する12系は、それだけ本系列の完成度を示しているともいえるでしょう。
保存車両も少なく、交換部品がないことから「SLより維持が難しい」ともされる12系ですが、JR東日本と西日本、秩父鉄道、東武鉄道、わたらせ渓谷鐡道ではいまだに現役で、大井川鐡道が保有するレトロ車両も、現役復帰を前提としているようです。
JR西日本は2021年5月、「SL北びわこ号」(米原~木ノ本)の運行終了を発表しました。
同列車は、その名の通り琵琶湖北部エリアの観光振興などを目的として、1995年に運行を開始しました。
春季と秋季の休日を中心に、一時はそれ以外のシーズンに走ることもありました。
先頭に立つ蒸気機関車は、2018年春まではC56形160号機が、その後はD51形200号機がメインで、時には「SLやまぐち号」の牽引機であるC57形1号機が担当することもあり、訪れた人々を楽しませました。
C56形が牽引していた頃は往復運転だったが、バックだと最高速度が45km/hに制限されるため、D51形やC57形が牽引するようになってからは下りのみの片道運転となっていました。
だが、2020年初頭からのコロナ禍の影響で、同年春以降は運行を中止していました。
さらに、「北びわこ号」で使われている12系客車は40年以上前に製造されたもので、煤煙の影響を受けずに感染症予防で必要とされる十分な換気が難しいこと、部品の入手が困難となり維持費がかさむことなどから、運行の継続が不可能と結論づけられました。
「SL北びわこ号」の運行は事実上2019年11月が最後となり、さよなら運転などもない突然の終了となってしまいました。
運行終了が発表されてから4カ月ほど経った2021年9月末、京都鉄道博物館で「もう一度会える、『SL北びわこ号』」と銘打った企画が開催されました。
普段は専用のトロッコ客車で運行されている「SLスチーム号」を、12系客車での運行に変更し、「SL北びわこ号」の雰囲気を味わってもらおうというものでした。
「SLスチーム号」はスピードが遅いため、客車の窓を開けたまま走行しても車内に煙が入りにくく、換気の問題もクリアできます。
本線での営業運行には使えなくても、博物館でのデモンストレーション的な運行であれば問題ないというわけです。
12系客車はその性質上、それぞれの車両が非常に広範囲を走り回っていたため、車両側面にある行先表示幕には全国各地の駅名が羅列されており、駅などでこの表示を変更する“幕回し”は鉄道ファンにとって楽しみなひと時でした。
現在、JR西日本に所属する12系客車は製造時とほぼ同じ内容の行先幕を装備しており、「大阪」「新大阪」「京都」「姫路」「岡山」「広島」「下関」「福知山」「鳥取」「米子」「出雲市」「和歌山」「白浜」「新宮」「天王寺」といったJR西日本エリアの駅はもちろん、「青森」「東京」「博多」「熊本」「長崎」「佐世保」「大分」「宮崎」といったはるか彼方の地名、さらには「金沢」「富山」「西鹿児島」「大社」「天橋立」といったものまで見られます。(「金沢」は現在はIRいしかわ鉄道の駅、「富山」は現在のあいの風とやま鉄道の駅、「西鹿児島」は現在の鹿児島中央、「大社」は廃駅、「天橋立」は現在は京都丹後鉄道の駅)といったものまで見られます。
JR東日本所属車は、1996年5月に西武鉄道E851形電気機関車のさよなら運転のために貸し出されたことがあります。
「SL北びわこ号」が運行終了となった理由は、12系客車に起因するものでした。
特に、部品の入手が困難という点は深刻です。
JR西日本の12系客車は年内にも廃車されることになりました。
ただ、京都鉄道博物館での動態保存という道はまだ残されています。
2021年9月のお別れイベントは、図らずもJR西日本がその可能性を実証したとも言えます。
そして、このイベントに大勢の人々が駆け付けたという事実は、何よりも力強い後押しとなるでしょう。
実は、原形を保つ12系客車の保存事例は、全国的にもほとんどありません。
もはやSL列車やトロッコ列車の編成風景になっている12系客車。
1日でも長い活躍を期待したいものです。