パ・リーグの2シーズン制 | 女装男子かなこのブログ

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プロ野球では2007年からクライマックスシリーズが行われています。


これは2007年からの名称で、両リーグ共通して第1、第2ステージを戦うのが新しい試みでした。


これに先駆けて、球界再編の嵐が吹き荒れた2004年から2006年までパ・リーグのみで行われていたのがプレーオフ。


まさにそのものという分かりやすい名称で、ペナントレースが終わって、その上位3チームで戦って優勝チームを決めるというシステムは、若干のルール変更はあれど、ほぼ形を変えず現在に至っています。


ただ、パ・リーグには20世紀の昔、プレーオフを導入した実績がありました。


現在の感覚からは信じられないかもしれないが、“実力のパ”、つまり、人気の低迷に悩み苦しんでいた時代のことです。


システムは21世紀のプレーオフに比べてシンプルに見えます。


手短に紹介すると、ペナントレースを前期と後期に分け、それぞれのリーグ戦で優勝チームを決めて、その両者がプレーオフで雌雄を決するスタイルでした。


導入されたのは1973年で、当時は西本幸雄監督率いる阪急ブレーブス(現在のオリックスバファローズ)の黄金時代だったが、この1973年の前期を制したのは南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)でした。


ほとんどのチームが短期決戦というイメージで臨んだ一方で、野村克也兼任監督が通年のシーズンと戦略を変えなかったことで覇権を手にした結果でした。


さすがに後期は阪急が制したものの、その後期は阪急に1勝もできなかった南海がプレーオフを3勝2敗で制してリーグ優勝。


これは“死んだふり優勝”といわれ、導入1年目からドラマチックな展開でした。


とはいえ、前期と後期を同じチームが制覇してしまうと、プレーオフ自体が“消滅”してしまうのが欠点だったのかもしれません。


1976年、1978年は阪急が前期と後期を制してプレーオフなしでした。


1983年には1シーズン制に戻し、それでも「1位と2位のチームが5試合を戦って逆転する可能性があればプレーオフ」という可能性を残したものの、阪急に代わって黄金時代に突入した西武ライオンズの圧勝で幻となっています。


まだテレビ中継が全盛期を迎える以前のことです。


このパ・リーグのプレーオフに立ち会うことができたファンは幸せです。


1973年

前期優勝 南海

後期優勝 阪急

シーズン優勝 南海


1974年

前期優勝 阪急

後期優勝 ロッテ

シーズン優勝 ロッテ


1975年

前期優勝 阪急

後期優勝 近鉄

シーズン優勝 阪急


1976年

前期優勝 阪急

後期優勝 阪急

シーズン優勝 阪急


1977年

前期優勝 阪急

後期優勝 ロッテ

シーズン優勝 阪急


1978年

前期優勝 阪急

後期優勝 阪急

シーズン優勝 阪急


1979年

前期優勝 近鉄

後期優勝 阪急

シーズン優勝 近鉄


1980年

前期優勝 ロッテ

後期優勝 近鉄

シーズン優勝 近鉄


1981年

前期優勝 ロッテ

後期優勝 日本ハム

シーズン優勝 日本ハム


1982年

前期優勝 西武

後期優勝 日本ハム

シーズン優勝 西武