1983年4月9日、タイムボカンシリーズ第7弾「イタダキマン」(フジテレビ)が放送開始しました。
今年で放送40年目になります。
昭和最後のタイムボカンシリーズとなった本作について振り返ってみましょう。
タツノコプロが制作したシリーズ最初の作品「タイムボカン」が1975(昭和50)年から放送したことから、本シリーズは昭和50年代を代表するアニメシリーズのひとつともいわれています。
その人気は高く、視聴率も20%を超える数字をたたき出すほどの注目作品ばかりでした。
それぞれのシリーズで多くの流行語を生み出したことでも知られています。
その魅力はいくつかありますが、やはり本来なら憎まれ役である敵役の「三悪」の人気によるところが大きいものでした。
この三悪の声優をつとめた小原乃梨子さん、八奈見乗児さん(故人)、たてかべ和也さん(故人)のハイテンションな演技と絶妙なアドリブがシリーズを支えています。
そのため、シリーズでは後年「夜ノヤッターマン」(2015年)でキャストが総入れ替えされるまで、40年間に渡って三悪を演じ続けました。
その功績から三悪がタイムボカンシリーズ真の主役といっても過言ではありません。
また、この変わらぬ声優陣が示す通り、シリーズの魅力のひとつが「マンネリ」です。
お約束やワンパターンとも言い換えられますが、この変わらぬ作風が安定した人気を支えていました。
当時の感覚で言えば、ザ・ドリフターズや萩本欽一さんのコントに通じるものがあったのでしょう。
もっとも、まったく同じことを繰り返しているわけでなく、作品ごとに設定やキャラを変えることで常に新鮮な空気に入れ替えています。
特に本作「イタダキマン」の前作であるシリーズ第6作「逆転イッパツマン」(1982年)では大胆な変革を行っていました。
これまでナレーションを担当していた富山敬さん(故人)が主人公をつとめ、シリアスな展開のストーリーを挟むなど、それまでのシリーズにない雰囲気の作品に仕上がっています。
従来のギャグ部分もサラリーマンの悲哀をペーソスに描いて高い人気を誇りました。
こういった新要素が評価され、シリーズのなかで「イッパツマン」が一番好きという人も少なくありません。
この後を受け継いだのが本作「イタダキマン」でした。
前作「イッパツマン」がマンネリ打破で好評だったことを踏まえ、逆に原点回帰してギャグ方面へ舵を切ったそうです。
また、低年齢層にもわかりやすくするためにモノ探し要素を復活させ、前作までと同じ人間型の巨大ロボでなく、親しみやすい非人型タイプのメカをメインに据えました。
もちろん、すべてが原点回帰というわけでなく、もっとも人気が高かったシリーズ第2作「ヤッターマン」(1977年)以外にはなかったタイムトラベル要素を外すといったこともしています。
まったくの新要素として、主人公は普段は三悪と一緒に行動、戦いではヒーローが巨大化して戦うといった新要素も導入しました。
こうして番組は始まりますが、さまざまな要素が重なって番組存続の危機を生むほどの不調を生み、シリーズは本作を最後に一度途絶えることになるのです。
前述のように原点回帰と新機軸を入り交えた作品となった本作ですが、もっとも大きな変革となったのが、これまでシリーズを支えていた大きな柱であるふたりの主要スタッフの進退にありました。
ひとりはこれまでオープニング曲にエンディング曲、挿入歌などの音楽面を支えてきた山本正之さんです。
それまでのシリーズすべてでオープニング曲の作詞作曲を担当していましたが、本作ではエンディング曲のみとなりました。
劇中の音楽も別の方の担当となっています。
もうひとりは脚本家の小山高生さんです。
この小山さんが長期にわたって務めていたシリーズ構成を降りました。
そのため、本作では脚本で1本のみの参加になっています。
このシリーズ人気を支えてきた功労者である小山さんが参加しないことが、本作の作風に多大な影響を与えたのは明確でしょう。
本作が低迷した理由は他にもありました。
それは長年の間、高視聴率を維持していた土曜午後6時30分の枠から午後7時30分の枠に移ったことにあります。
たかが1時間の変化ですが、この時間枠には裏番組に「クイズダービー」(TBS)、「あばれはっちゃく」シリーズ(テレビ朝日、ただし朝日放送(関西地区)では「部長刑事」(関西ローカル))いう高視聴率番組がありました。
さらに、当時は多くの家庭で見られていたプロ野球中継とかぶる可能性もあります。
実はフジテレビはこの時間帯で苦戦していました。
人気番組だった「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(1時間半番組)が1980年3月に一度終了して以降、ドラマやクイズ番組、アニメなどさまざまなジャンルの番組を立ち上げましたが、いずれも視聴率低迷で短命に終わることが続いていたのです。
この状況を打破するため、人気のタイムボカンシリーズをこの時間枠に入れました。
しかし状況は好転せず、タイムボカンシリーズ初めての打ち切りとなります。
当初は1年間の放送予定だったが、視聴率が低迷したため、6か月で打ち切りとなってしまいました。
以前は20%を超えることもあった視聴率も、この枠では最高で9%台と屈辱的な数字でした。
当時のテレビでは、ゴールデン・プライムタイム(夜7時~11時)で視聴率が10%未満だと打ち切りを検討せざるを得ない数字でした。
さらに放送話数が全20話(うち1話は未放送)という数字は、全12話だった「夜ノヤッターマン」が放送されるまでシリーズ最短記録になります。
6か月間なのに全20話という中途半端な話数になったのは、プロ野球中継や特番による休止があったからです。
もっとも「夜ノヤッターマン」はもともと3か月の予定ですから、「イタダキマン」が6か月以上の予定で開始されたなかでは最短シリーズということになるでしょう。
結果的に「イタダキマン」が昭和最後、フジテレビ系で最後のタイムボカンシリーズの作品となりました。
打ち切りとなったことで、メインスポンサーだったタカトクトイスは翌1984年、倒産に追い込まれました。
もっとも、この後の「イタダキマン」の扱いはさすがタイムボカンシリーズと言えるかもしれません。
歴代メンバーが集まったオリジナルビデオアニメ「タイムボカン王道復古」(1993年)の第1話では、レース開始直後にトップに出るもののすぐにリタイアし、ナレーションで「シリーズを象徴してますねぇ」といじられていました。
また、PlayStation用ゲーム「ボカンGoGoGo」(2001年)では、「テレビでも一番早くゴール迎えちゃいました」という自虐的なセリフがあります。
こういったマイナス要素までギャグにできるのが、やはりタイムボカンシリーズのいいところでしょうか。
後にシリーズは「タイムボカン2000 怪盗きらめきマン」(2000年)で復活を遂げています。
しかし、放送はテレビ東京系に変わりました。
そして、その後にもシリーズ作品はいろいろな形で発表されました。
そのため、今でもシリーズの知名度は低いものではなく、多くの人が知っていると思います。
もっとも、視聴率低迷で打ち切りとなってしまった本作「イタダキマン」に関してはネタとして語られる程度かもしれません。
しかし、タイムボカンシリーズの歴史を語るうえでは外せない作品であります。